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 見つめ合った数秒は私にとって果てのない永遠だった。喉を揺らし、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「⋯⋯な、に言ってるの! ちゃんとふられてるのにまだ徹のこと好きとか私相当しつこいじゃん。それにニコラスも他の人たちもそういうの本当にないんだって。前にも言ったけどこっちで恋愛とか、あと、なんていうか一時的なそういうのとか、全くするつもりないし」
 
 言いながらコンロの火力を下げる。心臓がやたらと速く動いているのはわかったけれど、絶対に悟られまいといつも通りの調子を保つことを意識していた。
 輪郭のはっきりしない感情が浮かび上がって胸を締め付けると同時に、必死に全てを否定している自分が滑稽だった。

「ごめん、俺すごい変なこと言った⋯⋯忘れて」

 徹自身もあんなことを言ってしまった己に驚いているのだろう、視線をそらして頭を抱えながら言う。鍋つゆを吸って色が濃くなった野菜たちを見つめた。先ほどの徹の瞳を思い出す。どこか怯えるような揺らめき。果たして忘れることが出来るだろうか。その疑問はすぐにかき消した。
 ここ最近、徹は私とニコラスとの関係をよく気にかけていたし、冷静に考えればあんな風に聞かれるのは別におかしいことではない。伺うタイミングを見計らっていたのだろうか、それとも無意識の問いかけだったのだろうか。徹が何を危惧しているのかわからないけれど私がここで誰かに恋することはない。
 その相手が徹だとしても、だ。

「それこそ、チームの人が私のこと聞くの興味本位だと思う。徹が前に言ってた物珍しさっていうか」
「わかってる。ごめん、むきになる言い方した。名前からは何回もニコラスとのこと否定されてたけど、最近、距離も近いし2人きりになること多いみたいだから俺が考えすぎてた」
「う、ううん。私ももっと周りからどう見られるかちゃんと考えるべきだった。私は良くも悪くも目立つだろうし、異国としての常識とか考え方とかもっとちゃんと意識できるようにする」
「⋯⋯いや、名前はそういうところちゃんとしてると思う。名前の気持ちが誰に向いてても俺にどうこう言える権利ないのに、本当にごめん。あんな風に言ったの、自分でも驚いてる」

 繰り返される謝罪。肌を刺すような沈黙。それまでの空気を取り戻す為の言葉を必死に探した。そうしないといけないような気がした。ようやく形作れたものを崩してしまわないためにも。
 しかし、そう思えば思うほど、言わなくてはいけない言葉があると思った。一緒にいるときの空気。距離感。カサンドラの気持ち。これまでの徹の言葉。これからのこと。

「⋯⋯あのね。徹が私のこと気にかけてくれたり心配してくれたりするの嬉しいけれど、でも必要以上に優しくしてくれなくて良いんだよ」
「え?」

 ああ、困るな。なんで私の心は徹にばかり反応するんだろう。声。瞳。横顔。香り。身長差とか後姿とか。
 何気ない、無意識の一言でさえ。

「徹に告白してちゃんとふられて、それなりの時間はかかったけれど思いは断ち切れた⋯⋯と思う。でも意図が分からなかったり、深読み出来ちゃう言葉を言われれば、やっぱり動揺する。心が揺さぶられないほど、私はまだ強くない。だから私が徹の幼馴染でいるためにも、私への優しさはもっと少なくていい」

 これは私のわがままだ。私たちは何度もこんな風に向かい合って、何度も心をさらけ出す言葉を伝えてきた。感情の網から上手に抜け出せない私のせいでもある。それももう終わりにしたい。これで最後。望んだり、求めたり、願ったり。そういうのはこれから先、無くて良い。

「⋯⋯ごめん、俺も名前との適切な距離感をわかってなかったかも」
「仕方ないよ。3年も会ってなかったんだから。それだけ会わなかったらお互いの知らないことなんてたくさん増える。時差があるから連絡も頻繁にとれるわけじゃないし、それにこういうのはこれから当たり前になってく」

 徹はただ黙って私を見つめるだけだった。どこか傷付いたような表情。私は気付かないふりをする。

「きっともっとお互いに知らないことが増えていって、時々別人に思えたりして。そうやってどんどん大人になっていくんだろうね、私達」

 テレビからクリスマスソングが流れていた。誰しも一度は耳にしたことがあるだろう曲。聞きながら、いっそ私から人を好きになる心を失くしてくれたら良いのにと思う。私だってもう捧げる心なんてない。
 ない、はずなのだ。
 
「⋯⋯ほら、火も通ったし鍋食べようよ! くたくたになった野菜もすきだけどまだちょっと芯の残ってる状態も好きなんだよね」

 私の心をなぞるように歌は部屋を響く。
 12月25日。真夏の聖夜は緩やかに更けていった。

(21.10.28)


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