22



 滑るように夏の夜の風が耳元を撫で、遊ばれた毛先が私の頬をくすぐる。日はすっかり沈み、空に浮かぶ星々。南十字座。さかさまのオリオン座。この空は確かに日本にもつながっているけれど、見える景色は違う。真逆。ここはそういう場所。

「ニコラス、家まで送ってもらってもいい?」
「僕?」
「うん」

 目の前で徹とカサンドラが並んで歩いているのを見つめながら隣に立つニコラスにお願いする。クリスマスとお正月の真ん中、年末特有の浮足立つような空気が街を満たしていた。
 私と徹とニコラスとカサンドラで夜ご飯を食べた帰り道にこんな形で2組に分かれたのは、偶然というよりも必然のような気がする。

「良いけど⋯⋯良いの?」
「徹はカサンドラを送っていくと思うし」
「わかった。じゃあ2人に声かけておくよ」

 お互い表面では普段通りを取り繕っているけれど、クリスマスの夜を境に私と徹の間には微妙な空気が漂っていた。なかったことにも軽い調子で口にすることもできない。その曖昧なバランスを理解しているからこそ、私も徹も互いを探るように言葉を選ぶ日々が続いている。

 ニコラスが2人に話しかけているのを遠目で見つめると、ふいに徹と目が合う。手持ち花火に火をつけた瞬間の弾けるような感覚。やましいことも気まずいこともないはずなのに、私は徹から目をそむけてしまった。
 わざとらしかったかな。その心配は私の隣まで戻ってきたニコラスの言葉に攫われた。

「トールはカサンドラを送るって。僕たちも帰ろうか」
「うん」

 手を振るカサンドラに応えて私達も背を向ける。初めて4人でご飯を食べた時と同じ状況なのに今はあの時とは違う。たった3カ月。されど3カ月。
 振り返って徹とカサンドラの背中を見つめてもぶつかりあう視線はない。あの2人が並んで歩いていることを安堵しているのか、それとも焦燥を感じているのか自分でもよくわからなかった。

「なんだか、今日のナマエとトールはいつもと違う様子だったね?」

 夜に溶けるような穏やかな声。変わらないのはニコラスの優しさだけなのかもしれない。ニコラスをじっと見つめる。透き通るような青い瞳はまるで天高い空のよう。
 もし私に周りが気にしたくなる雰囲気があるんだとしたらニコラスには何でも話したくなる雰囲気があると、私は秘かに思った。

「ニコラスだから言うけど⋯⋯徹のことを好きでいるのやめようと思ったのに、ふとしたときに揺らぎそうになる自分の心が嫌になるんだ。でもね、それは別に徹と付き合いたいとか好きになってほしいとかそういうのじゃないんだ。ただ、好きでいることを許されたくなる、みたいな」

 許されてしまえば私はまた不毛で不確定で永遠とも呼べるような片思いをしてしまいそうで怖い。
 だから私は幼馴染でいたいのだ。普通の、ちゃんとした幼馴染。

「幼馴染らしい幼馴染ってなんだろうね。どうしたら幼馴染に戻れるのかな。それとも私が徹を好きになった時点で幼馴染の関係なんて破綻してたのかな」
「ナマエ」

 ニコラスは諭すような声で私の名前を呼んだ。まるで父親に呼び出された時のような声色に、私の背筋は自然と伸びる。
 ぐっと胸を張って星夜を背景にニコラスを見上げる。だけどその瞳は優しく、それはどこかはじめの優しさにも似ているなと思った。

「ふられたからと言って恋を諦めなくちゃいけないわけじゃない。ふられても好きでいることは自由だし、それと同じくらいふった側も、誰に恋をするかは自由だ」
「え?」
「つまり、ナマエをふったからと言って、これから先トールがナマエのことを好きにならないわけじゃないってことだよ」

 そんなことを考えたことがなかったと目を見開く。だけどそんな未来、私には上手く思い描けない。徹が私を好きになるなんて天地がひっくり返ってもありえないような気がしてならないのだ。

「もしかしたら明日トールはナマエに好きというかもしれないし、10年後に言うかもしれない。もちろん言わない可能性だってある。だけど関係性は必ずしも1つであるとは限らない。必ず幼馴染でいる必要はないし、そのことでナマエが傷つくんだったら、それはトールにとっての本望じゃないはずだ」
「⋯⋯うん」

 同い年のはずなのにニコラスは私よりもずっと大人なのだなと実感する。私の気持ちを否定しなかっただけじゃなくて、その先のことまで考えてくれている。
 正直、徹が私を好きになることも私が他の誰かを好きになることも今はまだ全然想像できない。そんな日はきっとやってこないだろうと思う。
 でもニコラスの言葉が私の心をほぐす。泣きたくなるような優しさに、私のこれまでの想いが許されたような気がした。

(21.10.31)


priv - back - next