はじめと電話をした一週間後、徹と久しぶりに帰路を共にした。意図的に避けてきたわけではない。でもタイミングが合わなくてここ最近はこんな風に2人きりになることもなかったから少しだけ気まずい。多分、徹も同じように思っている。
「久しぶりだね。一緒に帰るの」
「最近、練習後に残ってること多かったらかな。帰り送れなかったけど、困ったことなかった?」
「うん。それは大丈夫」
時々ニコラスも送ってくれたし。という言葉は言わないことにした。言わないほうが良い気がしたのだ。
相変わらず夏の夜は涼しい。ぼやけるような光を放つ街灯の下、不格好に舗装された道路を見つめていたけれど神経だけは私の右隣にいる徹へ注がれていた。否応にも必要以上に意識していることを理解しながら、何か明るい話題はないかとここ数日の出来事を思い浮かべる。
「⋯⋯あ。はじめ」
「岩ちゃん?」
「から、先週電話があったんだけど」
その名前に、ようやく私達の周りの空気が少しだけ緩やかなものに変わった。
「岩ちゃん、なんて? 俺には全然連絡こないんだよね」
「私も久しぶりに話したよ。はじめも周りに助けられながら順調に過ごしてるみたい」
「そっか。安心した」
「他にもいろいろ近況とか話したけど、とりあえず徹ははじめに殴られる覚悟しておいたほうがいいかもしれない」
「え、ちょ、なに。どういうこと? 物騒すぎない?」
徹はぎょっとして目を見張る。丸い瞳に映る月夜と共に私が今、その眼球の中にいる。
見つめる。
じっと。ただ、じっと。
確かに今の私たちはジェンガを高く積み上げたときのような危うさを持っているけれど、まだ全てが崩れてしまう段階ではない。牛歩のような歩みでゆっくりとゆっくりと修正されていると思う。
「⋯⋯あのさ。クリスマスの日、のこと」
意を決して口を開いた。
あの日、なんか変な雰囲気になっちゃったけどごめんね。そう言えば多分、私達はもとに戻れるはずだ。自分が何に対して謝罪しているのかを理解しないままそれを口にするのは良くないだろうか。
上手に感情をコントロールできなくて。ちゃんとした幼馴染でいられなくて。あえて理由をつけるならそんなところだろうけど、逆に徹を傷付けてしまいそうで言葉にできない。
「そのことなんだけど」
徹が我先にと言葉を紡ぐ。
「ごめん」
「え」
私は何度徹の口からその言葉を聞くのだろう。あの日私を襲った、心を揺さぶる感情を思い出す。
「俺は嫌だったんだと思う」
「嫌?」
「名前が気まずそうにしたりいつもならしない気遣いを俺にしてたりするの見て、俺なりに色々考えた。名前が想像以上にニコラスと仲が良いこととか、チームのやつから一目置かれてることが多分、俺は嫌だった。18歳まで側にいて俺は名前のことなんでも知った気になってた。だから俺の知らない名前がそこにいるみたいで焦ったんだと思う。だってあの頃の名前は俺や岩ちゃんのためにバレーと関わることを選んでたから」
今でもそれは変わらないと言えない自分が辛かった。だって今は自分の為にここにいる。
「無意識に今もそうだと思い込んでた。俺は名前のことなんでも知ってるって勝手に。考えてみたら、俺たちはずいぶん長いこと離れ離れだったんだもんね」
心の距離感だけじゃない。私と徹には物理的な距離もある。距離約18000kmは広大な海と高い空で繋がっているはずなのに、どうしたって私達を遠ざける。
私と徹が見るオリオン座はいつも逆さまだ。
「⋯⋯でも私は感謝してる」
喉が震えて上手に声が紡げなかった。
たとえこの先お互いの知らないお互いが増えたとしてもそれは悪い事ではない。どうしたって仕方がない。でもお互いの本質は変わらない。私がどこにいても、徹の国籍が違ったとしても。私と徹は幼馴染で、18歳まで日常を共にした人。
「私にバレーを教えてくれたこと。その楽しさを教えてくれたこと。世界の広さも小ささも、人を好きになる気持ちも、全部徹が居たから知れた」
大きく息を吸い込む。
吐き出して、もう一度吸い込んで。
「私にたくさんのきっかけをくれてありがとう」
ふられたことを簡単に口に出来るようになったように、今回のことだっていつかは笑い話に出来るのだ。いや、出来なければ困る。
徹は目を見開いた。そしてゆっくりと動いた徹の右の手が頼りなく私のほうへ近づく。
あ、触れる。
そう思ったけれど、その途中で戒めるように止まった指先は、結果、触れ合うことなく元の位置に戻ってゆく。触れてくれたら良かったのにと思った心を私はそっと閉じ込めるだけ。
(21.10.31)