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 翌週、私はカサンドラと久しぶりに会う為、街の中心部に来ていた。カサンドラの着ているタンクトップから伸びる長い腕は、太陽の光を受けて白く輝いているようにも見える。
 涼む目的を第一として入った世界的有名チェーン店のカフェの中は前回とは違い、多くの人の声であふれている。ラジオのチューニングが合わない時のようにザラザラとした質感の雑音。

「会いたかったわ、ナマエ」
「うん。私も」

 カサンドラから話したいことがあると言われたのは昨日のことで、たまたまお互いの休日が重なっていた今日、とんとん拍子に会うことが決まった。
 フローズンタイプのドリンクを注文し、席について早々カサンドラは言う。

「もったいぶるのも変だから先に今日伝えようと思ったこと話すわね」
「わかった」
「トールに言ったの。恋人になりたいって。ふられちゃったけどね」

 間も躊躇いもない告白。驚く私とは対照的に、カサンドラは悲しむ様子すらもない。むしろどこか納得のいっている表情に私はただ瞬きを繰り返すだけだった。

「3日前かな。トールと夜ご飯に行ったんだけど」
「う、うん」
「帰り道送ってくれて、そのまま誘ったのよ。このまま部屋に来ない? って。日本人は手続きをきちんと踏んで恋人になることはわかってたわ。だけど私もトールも子供じゃないんだし、言葉の意味は分かってたはず」

 つまりカサンドラは徹に一夜を共にしましょうと誘ったわけだ。もっとダイレクトに言うならば、セックスをしようと。
 確かに大抵の日本人はきちんと段階を踏んで深いつながりを求める人が多い。でもそうじゃない人もいる。だけどカサンドラは大抵の日本人が好きだと告白してからその行為に及ぶことを理解して言ったのだ。つまりそれは告白と同意の意味を持つと言っても過言でない。

「それで⋯⋯どうなったの?」
「断られたわ。私の言葉にトールはとても驚いてたけどね。でも、迷う素振りはなかった」
「そっか⋯⋯」
「少しくらい迷ってくれたらつけ入る隙もあったんだろうけどトールにはそんなの微塵もなかったのよ」

 カサンドラは私を見つめる。ニコラスと同じ青く澄んだ瞳。ヨーロッパの血を引いているのがはっきりとわかる顔の造形。だけど厳つさはなく、むしろどこか柔らかい印象さえ受ける。ただ単純に美しい。私が男だったら断るのが惜しいと思える。あわよくばワンナイトを、と望んでも何らおかしくはない。
 芽生えた感情は安堵なのだろうか。だけどただ単純にそれだけではないような気がして、胸の中に渦巻くこの感情の正体を私は知れないままでいる。

「トールはナマエのことが好きなんじゃないかしら」
「え」
「聞いたの。ナマエのことはどう思ってるのって」
「聞いたの!?」
「まあ落ち着いて。トールにはわからないって言われたの」

 わからないってどういう意味だろう。1週間ほど前の帰り道を思い出す。あの夜、結局触れ合わなかった指先に徹なりの意味はあったのだろうか。

「私が尋ねたとき、トール自身も困っているように見えた。ううん。戸惑ってるのほうが正しいかも。ナマエの名前を出したら一瞬強張って、だけどそれは焦りじゃないの。私からすればトールは自分の中にある気持ちをどんな風に認めたら良いのかわかってない感じ」
「⋯⋯でも、だからって、私のことを好きだとは限らないよ」

 だってやっぱり徹が私を好きになるなんて想像できない。何を信じて何を望めばよいのかわからぬまま、私は視線をゆっくりと下げる。

「いいえ」

 凛としたカサンドラの声。

「これは女の勘よ」

 そう、はっきりと言いきられた。医者からあなたの病名はこれですと言われた時のようにそれはどこか強い意志があって、私は反論する余地さえ見いだせない。カサンドラが言うならそうなのだろうと、一瞬、納得しそうになる。
 でも慌てて考えを拭う。そんなことあるわけないと。だからカサンドラの勘について追及することが出来なかった。

「カサンドラは、その⋯⋯諦めるの? 徹のこと」
「そうね。例えば私がナマエのことを知らなかったり、ナマエのことを好ましく思っていなかったら諦めなかったけれど、私はナマエのことが好きだし、トールがナマエを好きだということを私自身が納得できるから諦めるわ」
「カサンドラ⋯⋯」
「どうしても今日はそれを伝えたかったの。私とトールの結果はこうなったけれどナマエには気にしてほしくないし、私たちの友情にヒビが入るのは嫌だと思って。これからもよろしくね、ナマエ。私、あなたのような友人が出来たこと、本当に嬉しく思ってるのよ」

 頷く。もっと上手に笑うことが出来たら良かったんだろうけど、胸がいっぱいでそれが精一杯だった。
 徹がカサンドラの申し出を断った。カサンドラは徹が私のことを好きだと思っている。得た事実よりも、カサンドラが日本から遠く離れた地で徹を支えてくれる一人であることが、そしてこうして出会えたことが私は何よりも嬉しかった。

(21.11.02)


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