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 2021年、夏。
 容赦なく太陽の日差しが降り注ぎ、まとわりつく湿気が不快感を運ぶ季節が今年もまたやってきた。アルゼンチンの夏を過ごしてから約1年と半年。4年に1度の祭典、東京オリンピックは無事に開催される運びとなり、日本代表は決勝戦へ向けて順調に駒を進めていった。
 バレーボールの競技会場である有明アリーナには客席を埋め尽くすたくさんの観客が国内外問わず集まっている。歓声が所狭しと会場に轟く中、いよいよやってきた決勝戦の開幕に向け、会場のボルテージはじわじわと上がっていた。

「さっき及川と話してきた」
「はじめ」

 声をかけられて、隣に立ったはじめを見上げる。

「ぜってぇ勝つって言っといた」
「そうだね。ぜってぇ勝つ」

 アスレチックトレーナー、岩泉一。そして栄養指導、名字名前。私たちは今、日本代表のサポートスタッフとして共に同じコートに立っている。
 目線の先にはコートの中でアップをする選手たち。隣ではアルゼンチン代表のメンバーがアップをしていて、見知った顔が何人かいる。会場にはカサンドラもいるらしい。
 ここは、誰かにとっての通過点で、誰かにとっての目的地。私にとっては夢の場所。

「あいつ最近メディアに取り上げられて調子乗ってっからな」
「あはは。徹もまんざらでもない感じでテレビ映ってたよね。私ちょっと笑いそうになっちゃった」
「開会式の時もやたらと目立ってたし」
「わかる。私もスクリーン見ながら思った」

 アルゼンチン代表のセッター、トオル・オイカワが日本出身だということは競技が始まった時からアナウンスされていた。開会式のときにもさらりと触れられていたけれど、アルゼンチンが予選を勝ち進み決勝リーグに進んでからは徐々にその名前も轟くようになって、そして決勝戦の今日、日本代表の選手の紹介と共に徹の名前が高々と告げられた。
 幼いころから仙台でバレーボールをやっていたこと。中学時代は影山選手と同じチームだったこと。高校時代には全国出場をかけて牛島選手と戦ったこともあること。そして卒業後に単身アルゼンチンへ渡り、後に帰化したこと。

「名前はどっちを応援するつもりだ?」
「そりゃあ日本だよ」
「意外だな」
「そう? だって私は日本代表の栄養指導者だし。まあ……でも個人的にはアルゼンチンも同じくらい応援してる。及川徹はこんなにすごいんだぞ、かっこいんだぞって日本中に見せつけてほしいなって」

 ここに至るまでの苦労や苦悩、数えきれないほどの努力を隠して徹は平然とコートの中に立つ。世界中の人が、日本中の人が徹を認知する。私はそれが誇らしい。

「まあ名前に攫うって宣言したんだからそれなりに恰好良いとこの1つや2つ見せねぇとな」
「はじめ面白がってるでしょ⋯⋯」

 まあな、と白い歯を見せて無邪気に笑うはじめ。ずっと変わらないその優しさに私は今日も救われる。そんな風に言われてしまうと、ちょっと決まりの悪さも感じるけれど。

「で、覚悟は出来たのか? 及川に攫われる」
「え〜。うーん⋯⋯」

 徹とは時々連絡も取り合っていたし、スタッフとして選手村に入村してから時々顔を合わせることもあったけれど、あれから取り立てて何かが変わったわけでもない。どうだろう。私は覚悟出来たのだろうか。徹が言った「攫う」の意味も本当はちゃんとわかってないし。
 サンフアンの空港で言われた言葉を思い出してみる。あの瞬間の空気感を。徹の眼差しを。でも今日が来ることを楽しみにしていた。この場所で、この立場で徹とあいまみえることを。

「その言葉についての真意を深く考えたことはないけど……でも、太陽を背負ってここまでやってきた徹を私はやっぱり好きだと思う」

 私がどれだけ徹に視線を向けても、この試合中に徹が私を見ることはないだろう。徹の見つめる先に今日もバレーボールがある。そういう人だから好きになった。

「始まるな」
「始まるね」

 試合開始のホイッスルが鳴る。始まるのだ。宴が。祭りが。たくさんの人が熱狂する一戦が。
 ボールが天井に向かって高く上がる。コートの中にいる6人と6人が定められたルールの中で点を取りあう。重ねてきた努力を、積み上げてきた力を惜しみなく発揮しながら選手たちは戦う。

 バレーボールは今日も私達を繋ぐ。
 性別を超えて、国を越えて。情熱がコートの中で花開く。

(21.11.10)


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