07



 ブエノスアイレスまで到着すれば、残りはただの国内移動だ。飛行機の機体も少し小さくなるし、機内食もなくなる。もう飽きるほど映画も見たし、機内食も飽きるほど食べた。
 こんなに広い空港なのに、いよいよ日本人の姿は誰も見なくなって、スペイン語と英語が連なる表記に従ってパスポートコントロールに向う。
 アジア人が珍しいのだろう、すれ違う人がちらちらをこちらを見ているのがわかる。並ぶも時も、看板も、電球の光り方も、同じ地球なのに全く違う世界で、まるで迷子になったみたいだと私は少しだけおかしくなった。

 確かここで航空会社変わるから荷物を受け取らないといけないんだよね。

 成田空港の搭乗手続きで教えてもらったことを思い出す。ブエノスアイレスまでは航空会社が同じだから乗り継ぎ時に荷物を受け取らなくても大丈夫だけど、ここからは国内線になるのに加えて航空会社も変わるからラゲージクレームで荷物をピックアップしてイミグレーションを済ませなければいけないらしい。
 周りを見渡して自分が進まなくてはいけない道を確認する。少なくともいま、私と徹は同じ大陸にいて、同じ時間の進みの中を生きている。時差も、季節の差もない。これまでは当たり前だったことがもういつの間にか当たり前ではなくなっていたことに私はちょっと驚いた。そんなに長いこと徹とは会ってないのか、と。

「あっ連絡⋯⋯」

 今は夕方だけどもう時差の計算をしなくて良いんだと慌ててアルゼンチンに着いたことを徹に知らせた。

『ブエノスアイレスまで着いたから、これから国内線乗るね』
『おつかれ! 到着時間に出口で待ってるから。周り大丈夫? 困ってない?』
『今のところ大丈夫』
『わからなくなったらすぐ職員に聞いて。あやふやな答えとかわからなさそうだったら他の人にも聞いてちゃんと答えもらうこと、いいね?』
『私のこと子供かなんかだと思ってない?』
『心配になるじゃん! 日本からアルゼンチンまで女の子が1人でだよ!? 到着するまで俺も生きた心地しないんだけど』
『生きた心地は大げさだよ』

 イミグレーションを待ちながら徹と久しぶりにやりとりを交わす。
 ジロリと、やはり物珍しそうに私をみる入国審査官の視線を浴びて、パスポートに印を押してもらえばあとは手荷物受取所でスーツケースを受け取るだけだ。国内線のターミナルへ行き、サンフアンへ向う飛行機に乗る。よし、大丈夫。
 ついでにお金の両替もして、フリーWi-Fiのスポットを探した。プリペイドSIMを購入する頃には、一端の旅人くらいの気持ちになったけれど、多分徹から見れば私の行程全てが不安でたまらないのだろう。
 でも私だって大人になったんだよ。こうやって1人で会いに行けるくらい。ちゃんと、徹のいない生活を送っているんだよ。もう昔みたいに、ただ想っているだけの私じゃないんだよ。


◇  ◆  ◇


 空中でホールディングした飛行機はしばらくの後、滑らかに滑走路へ着陸した。成田空港を出発して約2日と数時間。無事、サンフアンにあるドミンゴファウスィールサルミエント空港へと到着することができた。
 長時間に及んだ旅路。ようやく目的地に足を下ろした私はその空気を大きく肺に取り込む。ここが、徹の暮らす都市。

『ついたよ』
『うん。到着したって電光掲示板に書いてる。フライトは大丈夫だった?』
『わりと快適だった。いやもうさすがに機内食にも飽きたけど。荷物受け取ったら出るから待ってて』
『ゆっくりでいいよ』

 南米の、体格の良い人達に埋もれるように、到着口に向う。ラゲージクレームでベルトコンベアに乗った私の荷物をピックアップして、ようやく気持ちが一段落したような気がした。はじめにも無事に着いたことを連絡して、出口の先にいる徹のことを考える。 緊張が私を支配する。
 数年ぶりに会う私を見て徹は驚くだろうか。半ば強引にここまで来たことを本当は迷惑と思ってたりするかな。全てを覚悟してここに来たつもりなのに、いざ考え出すと心配事ばかりが頭を占める。
 第一声は何が良いかな。ロサンゼルスの乗り継ぎの時にシャワーを浴びたとは言え、フライトでコンディションは最悪だ。正直今から好きな人に会う顔ではないと思うけれど、こればかりはもう致し方ないと覚悟を決める。
 いざ、参る。
 No Returnの文字を視界に捉えて、到着ロビーに足を踏み入れた。明らかに人種が違う私を、そこにいた人達が一瞥をくれる中、久しぶりに私の耳に日本語が届いた。

「名前!」

(21.01.19)


priv - back - next