気が付くと恋が始まったように、気が付くと恋が終わっているかもしれない。私はあの頃そう思っていた。告白をしてから数ヶ月が経った後、偶然が重なって影山と一緒に下校する日があった。初夏のまだ爽やかな風が茜色に染まる空に吹く。

「影山と一緒に帰るって変な感じ」
「変ってなんだよ」
「だっていつもは隣にいるのが友達だし」

 あの日の告白は無かったんじゃないかと思えるくらい、私たちの関係性に変化は見られなかった。本格的な夏がやってきて、紅葉の秋がきて、雪の積もる冬にまた桜の春が訪れる。そうして季節が一巡する頃には私はもう影山のことを好きではなくなっているかもしれないと思うけれど、今の私はまだこうやって偶然一緒に帰れることは嬉しいと感じる。

『まじで? よく言ったな』

 学校の前の坂を下りきったところで、携帯にメールがくる。数日前に英に送ったメッセージの返信が今になってきたのだ。今と違ってあの頃はまだ大抵の人がガラケーを使っていて、私も例に漏れずその一人だった。
 大事な用事かと思って携帯を確認したと言うのに遅すぎる返事に私は少し乱暴に携帯を鞄に放り込んだ。

「大丈夫か?」
「平気。英からだった。少し前にメール送って全然返信ないなと思ってたんだけど、今返事くれたみたい。いくらなんでも返事遅いよね」
「⋯⋯国見?」
「うん」
「そういやお前ら仲良いんだったな」
「小学校から一緒だからね」
「そんなもんか」
「そんなもんだねえ」

 中学時代の部活仲間とは言え、影山は英にはあまり興味がないらしい。私たちが3年の時のバレー部は雰囲気が悪いときもあったし、特に影山と英は相反するタイプでもあるから余計なのかもしれない。
 私が影山に好きと言ったことを英に伝えたと言えば、影山は怒ってしまうだろうか。

「⋯⋯お前さ」
「なに?」
「国見から俺のこと聞いてねえのか」
「影山のことって?」
「⋯⋯部活の、いろいろ」

 影山は決まりが悪そうに言う。その様子に何を言わんとしているのかはすぐにわかった。及川先輩が居なくなって影山が正セッターになってから、北川第一のバレー部の雰囲気はあまり良いとは言えなくなった。そのせいで揉めたりすることもよくあったし、影山がコート上の王様と呼ばれるようになったのもそれが原因だ。きっと、そういうことについて言いたいのだろう。

「まあ、聞いてないわけではないけど」

 実際、中学最後の試合だって私は観に行っている。コートの中で何があってそうなったのかは分からないけれど、最後の、あのボールが落ちる瞬間はコートの外にいる私にとっても衝撃的だった。

「それでよく好きだと思えたな」

 言葉につまる。私は影山の本音はわからないし、英から聞く話でしか判断できないから公平に物事を見れているわけじゃない。でも影山がバレーを好きだってことも知っているし、誰かを傷付けるつもりでやっているわけでもないと思っている。

「俺は、間違ったことは言ってないししてないと思ってる⋯⋯言い方はもっといろいろあったかもしんねえけど」
「うん」
「最近はそれをなんとなくわかるようにはなってきた⋯⋯気がする」

 そしてきっと、影山は影山なりに当時のことを気にしているんだろう。

「私はコートに立ったこともないしボールを触ったこともないからさ、いつも影山のバレーに対する情熱は凄いなって思うよ。言ったでしょ、私は影山が影山だから好きになったんだって。周りの影山に対する評価は関係ないよ」

 冷静に考えて、恥ずかしいことを言ってしまったと後悔しながら影山の顔を見る。驚いたような、困惑するような、照れているような、そんな複雑な顔をした影山がいた。

「⋯⋯まあ、今となってはそれが1人の人間として尊敬できるっていうか。私にはそういうものがないから羨ましいなと思うし、逆に見てて頑張ろうってやる気もらえるし。もちろん中学の時の事に関しては英には英の気持ちとか考え方もあってそれも否定はしないけど、影山にも影山の気持ちとか考え方があったんだろうし」

 烏野のバレー部に入って、周りと良い関係性を築いていって、影山がどんどん良い方向に向かっているのは知ってる。私は見ているだけしか出来ないけれど、影山が影山のやりたいバレーを出来るならそれが私にとっても嬉しいと思う。
 その気持ちは告げないまま、2人並んで歩くと坂ノ下商店が目に入ってくる。ちょっとお腹空いたなと思った私に影山が言う。

「腹減った」
「⋯⋯わかる! お腹空いた!」

 思わず笑ってしまいそうになる。地面を蹴る爪先は次第に軽快になって、私はこの時一瞬、全てがうまくいくような気がした。
 坂ノ下商店の前で立ち止まった影山は肉まんを買ってくると言い残して店内に入っていった。家に帰ったらごはんもあるし私は我慢しようと夕暮れに流れる雲を見ながら影山を待つ。

「ほら」
「うん?」

 肉まんを両手に持った影山が戻ってくると同時に、片方のそれを差し出された。

「私にくれるの?」
「いらないなら俺が食う」
「⋯⋯もらう」

 夜ご飯のことを考えたけれど、影山が私の為にしてくれたことを受け取りたかった。受け取るよりも先にもう片方の肉まんを口に運ぶ影山は多分、凄くお腹が空いていたんだろう。ピッタリとくっつく影法師が長く伸びる。

「ありがと」
「ん」

 狡いなあ。その行動に意味はないんだろうけどそれは私の気持ちを揺さぶってくる。優しくされると好きじゃなくなる日が遠くなってしまう。影山にとっては何気ないことも、私にとっては特別なことになってしまう。きっと影山はそんなこと考えもしないんだろうけど。

(20.09.16)