私にとってそれはまさに「甘酸っぱい恋」だった。

「あのさ。私、影山のこと好きなんだ」

 気持ちを伝えたのは高校1年生の春。入学してすぐオリエンテーション合宿があって、2人きりになれたタイミングで言った。雰囲気も緊張感も何もなかったけれど、私は影山の顔を見られなかった。
 そもそも私が影山を知ったのは中学の時だ。北川第一のバレー部に及川徹という2つ上の先輩がいて、私の友達がその人の熱心なファンだった。付き添いでよくバレーの試合を観に行っていてそこで影山を知った。
 バレー部には国見英という小学校からの友達もいて私は最初、影山の事なんて眼中にもなかった。及川先輩と同じポジションの違うクラスの男の子。それが私の影山への最初の印象。
 私が影山と初めて話をしたのは、それこそ中学1年生の最後の時期。係の仕事で生徒から集めた数学のノートを先生の所へ持っていかなければいけなかった私は、クラスの人数分のノートを山積みにして廊下を歩いていた。
 40人分近くあるノートは持てないわけではないけれど、まだ体格も小さい女子中学生には大分重たくて、落とさない事へ意識を集中していて前方への注意が怠っていた。

「う、わっ」

 廊下の曲がり角で人とぶつかり無惨にも床に散らばっていくクラスの皆の数学ノート。やばい、早く拾わないとと思うと同時にぶつかった人に怪我がないか確認する。

「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
「いや、俺も悪いんで。拾います」
「あ⋯⋯ありがとうございます」

 ぶつかったその人がバレー部の影山飛雄くんだと言うことはすぐに気が付いた。けれどきっと向こうは私の事なんて知らないはずだからとその件について触れることはしなかった。汚れがないかを確認しながらノートを拾っている途中「あ」と影山が思い出したかのようにこぼす。
 
「いつも試合見に来てる人か」
「え?」
「見たことある気がしてたんすけど、今思い出しました」
「友達が及川先輩好きで、それで付き添いで。て言うか私たち同じ学年だから」

 顔は知っていても、名前も学年も知らなかったようだった。

「⋯⋯悪い」
「いいよ。謝ることじゃないし。むしろ覚えててくれてるのびっくりした」 

 私と影山の最初の会話はそれだけだった。ぶつかって、ノートを拾ってくれてそれでおしまい。
 でも私は影山が私の事を認識していてくれたことが妙に嬉しくて、その日から試合を観に行けばつい影山を目で追うようになってしまった。廊下ですれ違えば声をかけたり手を振ったりするようにもなって、そんな日々が続いて私たちはゆっくりと近付いていった。






 それが好きという気持ちに変わるのにはそれほど時間はかからなかった。私はすんなりと恋心を自覚したけれど、気持ちを伝える言葉やタイミングもわからないまま結局、私たちは高校生になった。
 そうして順調に育っていった恋心は、高校1年生の春のオリエンテーション合宿でようやく言葉となったのだ。

「あのさ。私、影山のこと好きなんだ」

 案の定影山は驚いて、そしてしばらく沈黙が続いた後に返事をした。

「⋯⋯悪い。お前のことは嫌いじゃないけど、バレーのことしか考えられねぇ」
「知ってるよ。別に付き合って欲しいとかじゃないんだ。ずっと言いたかったから言っただけ。私も影山がバレーするの邪魔したいわけじゃないし」

 傷付かなかったと言えば嘘になる。
 それでもきっと影山は私の好意を受け取ってくれることはないだろうなと思っていたから意外と平気だった。そろそろ戻らないと心配されるかなと思うのに私の足はなかなかその場から動かない。

「付き合うとかよくわかんねぇ」

 中学と比べるとずっと高くなった身長の影山が私を見下ろす。

「正直、恋愛が必要とは思わない。でも別に名字のことは良いやつだと思ってる」
「うん」
「悪い⋯⋯」

 影山は影山なりに申し訳ないと思っているんだろうな。決まりが悪そうに私から視線を少し外してそう言う。

「お前は俺のどこが好きなんだ」
「え、今それ聞く?」

 影山がどうしてそれを知りたかったんだろうか。この流れで影山の好きなところを言うなんて拷問に近いものを感じるけれど、この際ならばと私は影山の好きなところを考えた。

「好きなところ⋯⋯わかんない、かも」
「は?」
「や、普通に格好いいとか話しやすいとかバレーうまいとかそういうのはあるんだけどそれは後付けにも近くて、何て言うか、影山が影山だから好きになったって言うか、気が付いたら好きになってたっていうか。雰囲気とかも全部含めて惹かれたって感じ」

 影山は何も言わずに私の言う言葉を理解しようとしているようだった。もしかしたら、人を好きになるという感覚自体ピンときていないのかもしれない。
 
「私、影山とこれからも仲良く出来るのが1番だから変に意識はしないでほしい。だったら好きとか言うなって感じだけど、ずっと言いたかったことだから。まあそれだけはなんとなくでも受け入れてくれれば嬉しいかな」
「⋯⋯わかった」
「ありがと。じゃあそろそろ戻ろっか」

 私の恋は最初、日の目を見なかった。伝えて、それで終わるつもりだった。
 ここで私たちの関係がすっぱり終わっていたら、私たちは多分大人になってもよい友達でいられたんだと思う。でも出来なかった。出来なかったから私は大人になってもあの頃の気持ちを思い出すのだ。
 それはまるで影のように。

(20.09.16)