今年の夏は残暑が厳しいでしょうとキャスターの人がずいぶん前に言っていた気がするけれど、実際、夏休みが終わっても涼しさはなかなか訪れなかった。
 それでも8月よりは幾分まともになってきたなと思えるようになったある休日の夕方、私は影山に言われた。

「もしかしたら俺は名字のことが好きなのかもしれねえ」

 私と影山の家は区画は違うけれどそれほど遠くはなくて、行こうと思えば歩いて行ける距離にある。伝えたいことがあると中間地点にある公園に呼び出された私は開口一番にその言葉を聞いて一体何が起こったのだと一瞬、言われた意味を理解できなかった。

「⋯⋯え、なに?」
「だから、お前のことが好きかもしれないって言ってんだろ」

 思わず聞き返す私に、影山は少し強い口調で言う。
 突然、影山の心境に何があったのか。言われた言葉に喜ぶよりも驚きのほうが勝った。まだ少し湿度を含んだ空気が私の襟足を撫でる。

「ごめん、ちょっとビックリしてよくわかってない」

 だって私は1度ふられたし。
 だいたい影山は恋愛なんて興味ないと言ってたし。 
 そもそも「かもしれない」ってどういう意味なの。
 もしもこれが影山にとって告白だったとするなら、私は人生で初めて告白されたという事になるのに素直に喜べない。困惑している私を見かねたのか「俺もよくわかんねえけど」と前置いてから影山は続けた。

「周りが言うには、俺はお前が好きらしい」
「周り?」
「部活の先輩とか」
「なんでバレー部の先輩が私の事知ってるの」
「仲良い女子いるのかって聞かれたからお前の名前言った」
「ああ⋯⋯」
「そしたら日向が俺が女子と仲良くすんのは意外だって」
「影山は私のこと女子とは思ってないじゃん」
「お前は女だろ?」
「そうじゃなくて⋯⋯まあいいや」
「つーか日向がいろいろ喋って」
「うん」
「いろいろ聞かれて、そんでいろいろ考えたら、好きなんじゃないかって」

 だからそのいろいろを私は知りたいんだけど。そう思うけれど、影山の中でもきちんとわかっていない部分なんだろう。影山は居心地が悪いような、難しそうな顔をしていた。

「俺はお前がいない時、時々お前を思い出す」
「え?」
「お前が好きって言ってた曲を聞くようになったし、朝、ランニングするときにお前の家の前通ったらまだ寝てんのかなとか思う」

 いつもよりも間を置くように影山はゆっくりと言葉を選んで話す。

「名字が楽しそうにしてたら良かったなって思う。よくわかんねぇけど、そういうのが好きに繋がるんなら、多分、俺は名字が好きなんだと思う」

 影山には珍しいはっきりとしない物言いは、どれだけ影山自身が困惑しているかを物語っているかのようだった。
 言われた言葉は素直に嬉しい。じわじわと私も冷静さを取り戻して、頭が働くようになる。でも私はずっと忘れようとしてきたのに。

「お前は俺のことどう思ってんだよ」

 聞かれてすぐには答えられなかった。これまでの私の気持ちを思い返してどう答えるのが正解なのかを探す。
 影山のことが好きだった。付き合えたら嬉しいけれど付き合えなくても仕方ないと思ってた。好きで居続けるのはしんどいから忘れようとしていたけれどその必要がない今は、私、どうしたら良いんだろう。

「えっと⋯⋯どう思ってるか、と言われれば⋯⋯」

 影山。私は影山を好きになってからバレーをテレビで観るようになった。ルールはまだ完璧じゃないけれど、そのときはセッターばかりを注目してしまうし、時々、この人たちの中に影山が混ざったらなんて事を考える。学校で飲み物を買うとき、牛乳がまだあることを確認するようになった。
 そんな風に私の日常に影山がいるみたいに、影山の日常にも時々私と言う存在があるんだろうか。

「わ、私は⋯⋯」

 涼しくなってきたと思っていたはずなのに、身体中が熱い。恥ずかしくて影山の顔もみられない。だけど今、重要な話をしているという事はしっかり理解していて、だからこそ中途半端な言葉は言えないなと伝える言葉を模索する。

「多分これからも簡単に忘れられないくらいには好き⋯⋯だと思う」

 いつか、私はこの瞬間の事を懐かしく思う日が来るんだろうか。

「俺は付き合うとかよくわかんねぇしバレー優先するだろうし気のきいたことも出来ないだろうし、なんつうか⋯⋯そういう事には向いてないと自分でも思う」
「大丈夫。影山はそういうの向いてないって私も思ってる」
「けど」

 影山が私を見つめる。普段の時とも、バレーをしている時とも違う表情。この瞬間、世界から切り離されても私は悲しくない。

「けど、お前には俺を好きでいてほしい」

 横暴で強引だと、そして身勝手だと思う人もいるかもしれない。でも私は多分影山のこう言うところも好きなんだと思う。人が指摘する影山のダメな部分を私は嫌だと思えない。

「俺は名字に俺のことを好きなままでいてもらえるのが嬉しい」
「⋯⋯わかった」

 この時の私はまだ知らない。自分のことが嫌になってしまうことも、影山を好きでいることが辛くなってしまうことも。
 そしてこれが本当に「これから先も忘れられない恋」になることも。

「⋯⋯それで私たち付き合うの?」
「付き合うのか⋯⋯?」
「わかんないけど」
「ちょっと聞いてくる」
「えっ誰に!?」
「部活の先輩」
「恥ずかしいからやめて! 聞くんだったら付き合ってみようよ⋯⋯」
「じゃあそうするか」

 そうして私と影山は結果的に付き合う事となった。
 何もわからない手探りの状態。好き同士であれば付き合うのが当たり前の概念。幼い恋。相手を思いやれない恋。それがあの頃の私たちだった。

(20.09.16)