影山は時折、私の知らない顔を見せる。大人びたような、私には触れられない場所に気持ちを置いているような、そんな表情。
 高校1年生の私にとって将来と言うものはまだ少し漠然としていた。なんとなく興味があるものや、どういった方向性の仕事をしたいかを考えることはあったけれど、遠い未来のようにも思えて自分の事と思えなかった。
 それがきっと余計に、私と影山の間に見えない溝を生んでいたのだと思う。

「全日本ユース強化合宿?」
『ああ。だからしばらく東京行ってくる』
「うん⋯⋯そっか。頑張ってね!」

 12月になると寒さは厳しさを増した。翌月に春高出場を控えた影山とは最近まともに会えていない。それでも時間が出来ればメールの返信をしてくれるし、電話も時々する。影山はきっと意識的に私の時間をつくろうとしてくれていた。
 そんな日々が続いていたある日のことだった。久しぶりに影山から電話がきたと思えば開口一番に告げられた。選抜メンバーに選ばれて数日間東京に行くのだと。

『悪い。まだしばらくは時間つくったり、出掛けたりは無理だ』
「いいよ。気にしないで。体調崩さないでバレー頑張ってね」
『おう』

 選抜メンバーに選ばれることは凄いことらしい。後日、山口くんから聞いた話だけれどそこには全国の凄いバレーボーラーが集まるらしい。多分それは私が想像するよりも凄いことで、だけどきっと影山にとってはただの通過点。
 影山にとってバレーボールとは自分の一部であり、永遠に共に生きていくもの。呼吸をするくらい、生きていく上で当たり前の存在なのだと思う。
 影山にとって名誉なその事を私は手放しに喜べなかった。連絡が少ないとか、出掛けることも出来ないとか、そう言ったことが不満だからと言うわけではない。正体はわからないけれど私の心を侵食するように、得体のしれない感情が私を襲う。

『⋯⋯聞いてるか?』
「え⋯⋯ごめん、なに?」
『だから、正月』
「正月?」
『その日なら部活ない』
「あ、そうなんだ」
『約束、果たすならその日でいいか?』

 今月、影山の誕生日がある。けれど私はその日をちゃんと祝ってあげることもできない。クリスマスのイルミネーションを影山と見に行くことだって叶わないだろうし、それこそプレゼントを交換するかどうかだって危うい。
 影山と付き合うと言うことはそういうことなんだろうか。影山のことは嫌いじゃないのに、好きなのにどうして私が出来ることは少ないんだろう。お正月だって、影山には負担にならないんだろうか。私のわがままは影山に迷惑を与えてるだけなんじゃないだろうか。私と言う存在は影山にとって必要ないのに、振り回してもいいんだろうか。
 考えてはいけないことばかりを考えてしまう。その答えは誰も持ち合わせていないというのに。

「⋯⋯いいの?」
『いいもなにも前に約束しただろ。休みはその日しかねぇから』
「だから、いいのかなって。休める日に私とでいいのかなって」
『名字とだから良いんだろ』
「じゃあ、ぜひ。それでお願いします」

 友達に言わせると、よくそれで付き合ってるなんて言えるね、らしい。実際、私もそう思う時はある。もし私が、他の男の子と2人で出掛けたって影山は気がつかない。もちろんそんなことは絶対にしないけれど、気付かれないくらい私の存在はきっとそんなに大きくない。
 名前を呼ばれるだけで、手が触れあうだけで、いつもより少しだけ近くにいるだけで、私はどうしようもなく幸せになれるのに、どうしてそれだけでは不安になってしまうんだろう。






 吐き出した息が白く昇って消えていく。影山と待ち合わせした場所に着いたのは約束していた時間の10分前だった。
 クリスマスの曲が流れていた時も、大晦日のカウントダウンが始まったときも、私はずっと今日と言う日のことを考えていた。何を着てどんな髪型にしようとか。そんなことばかりを。

「名字」

 真冬の硬い空気の中を通るような声が届いて、私は顔を上げた。

「影山!」
「悪い。待たせた」
「大丈夫。そんなに待ってない」
「鼻赤いぞ。頬っぺたも」
「えっうそ」 

 薄手の手袋を外して影山は直接私の頬を触る。影山は時々、本当に時々だけど、こんな風に周りの目を気にせずに触れることがある。私はその度に驚いて、必要以上に意識してしまうのに影山はそうではないらしい。今もマスクをしている影山がその下でどんな顔をしているのかはわからない。

「行くぞ」
「うん」

 思っていた通り12月はまともに会えなかった。
 影山の誕生日も学校でプレゼントを渡すだけだったし、クリスマスも少し電話をしたくらいだ。だから余計、浮き足立ってしまう。
 柔らかそうな雪が降り落ちてきて、年が明けたばかりだと言うのにもうすぐ春高が始まるというのはなんだか実感がわかなかった。
 影山がテレビに映って有名になったら可愛い女の子に告白されちゃったりとか、黄色い悲鳴を浴びたりとかするのかな。そんな心配をして、隣を歩く影山を見上げた。影山自身はそんなこと微塵も思っていないだろうけれど。
 私が走っていけないような場所まで行ってしまったらどうしよう。大人びた顔の影山が私の視線に気がつく。1人でどこまでも行ってしまいそうな、私がいなくなっても気がつかないような、むしろ私では隣にいることが難しいような、そんな気持ちにさせられる。

「なんだよ、もしかしてお前もあそこの焼きそば食いたいのか?」
「⋯⋯違うよ。どっちかと言えば寒いから甘酒飲みたい」
「じゃあ行くか」

 そう言うと影山は手を繋いで自分のポケットの中にしまいこんだ。少し強く握られて、あまりにも自然な動作に私は言葉をなくす。苦しくて、嬉しい。その感情の正体を知るには私はまだ若すぎた。

(20.09.18)