「えっそんな事になってたんだ」

 8月も後半になりビアガーデンでも行くかと友達と久しぶりに会う約束をすると、酒のつまみ代わりにあの飲み会から何があったかを全て赤裸々に話すことになった。
 あの日を最後に連絡を取り合ってない影山のことを考えると私は時々、胸が痛む。

「急にびっくりするよね、こんな話」
「びっくりはするけど⋯⋯まあ、納得もするかな」
「すっきりしたって言うかさ。ずっとモヤモヤしてたものがなくなったって言うか、霧が晴れたみたいな」
「そっか⋯⋯ちょっと勿体無い気もするけど名前が良いなら良かったよ」
「勿体無いって?」
「影山くんかっこいいし。こんな展開ドラマみたいだし? ドラマチックなことあるのかなって」
「ドラマチックなことかあ⋯⋯結果的には何もありませんでしたってオチだしね」
「現実は案外シビアかあ」

 私だって本音を言えばどこかで何かを期待していた。ドラマのように。映画のように。その主人公たちが体験するような展開があってもおかしくはないのかもしれないと思っていた。
 だけど結局影山はあれから連絡をくれないし、私もまた深く考えると連絡をとることを躊躇ってしまって時間がどんどん溝を深めていく形となってしまった。
 あの雨の日のことを思うと痛む心は、夏の幻みたいなそんなものだと私は時折自分に言い聞かせる。

「それにまた好きになるのはちょっと怖いんだよね」
「怖い?」
「私、今の影山のこと全然知らないし」
「それは⋯⋯影山くんにとってもそうなんじゃない? 影山くんにとっての名前だって高校生で止まってるわけだし」

 影山はそんなことまで考えたりするだろうか。良くも悪くも単純で、疑うような事をしない。そう言う部分はきっと変わってないんじゃないかなと思う。いや、変わってほしくないと思っている。

「この気持ちって恋してるとは少し違う気がするんだ。執着って言うと言いすぎてるかもしれないけど、ずっと忘れられなかったわけだし、そういうのがこう、絶妙に情緒を感じさせるんじゃないかって」
「どんな情緒よ」
「1つの恋が終わりを向かえる切なさ?」
「笑わせないでよ。あたしは結構本気で影山くん推してるんだからさ」
「そんなに?」
「だって名前、前の彼氏の時はそんな感じじゃなかったし」
「そんな感じって?」
「何て言うのかなあ。自分の事を出来ればいつまでも忘れないでほしいって相手に思う感じ?」

 なにそれ、と笑って答える。
 だっていつかは忘れるでしょ。どうでもよいものになるでしょ。
 違う誰かと恋をして結婚するかもしれないし、時間がそうさせるかもしれない。
 影山からの連絡がないということはそういうことで、私はもうすっぱりと過去にしたのだから。それなのにいつまでも忘れてほしくないなんて、そんなの。

「⋯⋯狡いでしょ、そんなの」
「え?」

 本当は友達の言葉にハッとした。
 私は多分、心のどこかでそう思ってた。影山には私とのことを「大切な思い出の一部」にしてほしいと。だって私の人生における恋愛は大抵影山がもたらしてくれたものだ。私はそれを過去の思い出に出来ても、絶対に蔑ろには出来ない。だから、私もそれを無意識に影山に求めている。

「もう全部、今更過ぎるし」

 影山に別れを告げたとき、私はもう2度と誰かを好きになれないのではないかと思った。
 それでも私は大学に入学して違う人と付き合いもした。違う人に気持ちを向けられた。だからこれからもきっとそんな感じでゆっくり、私と影山の距離は広がっていくものなんじゃないかと思っていたのに。

「そんなことないでしょ」

 友達はきっぱり言う。

「あたしらまだ若いじゃん? 今更とかないでしょ。また好きになったって良くない? 別に他人に迷惑かけてるわけでもないし。罪を犯したわけでもないし。人殺すわけでもないし」
「それは⋯⋯まあ、規模がちょっとでかいけど、確かに」
「それでもまだ怖い?」

 友達の問いかけに私は何も答えられなかった。
 会えても会えなくても、あの日から私は影山のことを考えている。その事実に名前をつけられないほど私は子供ではない。
 チーズケーキ。雨の音。最寄り駅の名前。バレーボールにカレーライス。そうやってまた影山は私の日常に溶けていって、心を奪っていく。





連絡をしようと決意を固めたのは、もう逃げられないと悟ったからだ。

『元気ですか』

 迷って迷って、送った言葉がそれだった。だって2ヶ月近く連絡をとっていなかったんだから今更何を送れば良いか私には分からない。こんな風に緊張しながら誰かにメッセージを送るのなんて久しぶりだなと思いながら、私は終電間近の電車を待つ。
 この時間だし練習はしていないだろうけど、寝てたりするかな。返事はこないかもしれない。
 まだ残暑も厳しい9月、久しぶりに秋の気温となった今日は大抵の人が長袖を着用していて、ホームの隅で隙間なく抱き締めあっているカップルにとっては丁度良い季節となってきたようだ。
 私はただ1人でスマホを握りしめながら影山からの返信を願っていた。
 そして、まもなく電車が来ると言うアナウンスが流れると同時にスマホは震える。

『普通』

 たった2文字の言葉は素っ気ないけれど影山らしくて私は嬉しくなる。
 電車に乗り込んでもう一度返信を見つめた。

『そっか』
『お前は』
『しんどい寄りの普通。ちょっと右肩上がり』
『なんだそれ』

 これから手をつけなくてはいけない卒論のことや国試のことを思うと憂鬱にはなってしまうけれど、少なくとも影山とやり取りをしている今はそんなことを考える隙間もないと思えた。

『最近忙しいの?』
『いつも通りだな』
『また今度会おうよ』
『わかった』

 会おうと言って影山は了解してくれたけれど、最後に会った影山の部屋でのことを思い出すと、どんな顔で会えば良いのかわからなくなる。思わせ振りな空気がそこにはあった。それをなかったことにして会うなんて、私には出来るのだろうか。

『名前ちゃん! 遅くにごめんね。あさってのランチ12時から丸の内で大丈夫?』

 いつ、空いてる? と打とうとした最中、スマホに届いたメッセージは高校からの友達、谷地仁花ちゃんからのものだった。
 私は実習で忙しかったけれど仁花ちゃんはインターンで忙しくて、ようやく久しぶりにお互いの予定が合ったのが明後日の土曜日だった。

『大丈夫!』
『ありがとう』

 仁花ちゃんは高校のときバレー部のマネージャーだったから私と影山のことはより詳しく知っているし、結構心配もしてくれた。
 前回の飲み会に来ていなかった仁花ちゃんに今回の一件を話せばいつものように良いリアクションをとってくれそうだなと思いながら揺られる電車に、私は次第に眠くなる。

『じゃあまた、近いうちに連絡する』

 完全に眠ってしまう前、影山にそうメッセージを送り私は少しだけと思いながら瞼をおろした。

(20.09.23)