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仁花ちゃんと約束をしていた土曜日、待ち合わせ場所に着いて辺りを見渡すと遠くの方から小柄な女の子が走ってきたのが見えた。仁花ちゃんだと分かると大きく手を降る。
「ゆっくりでいいのに」
「そんな! 待たせるわけにはいかないから!」
「大丈夫?」
「うん、平気。名前ちゃん食べたいものある?」
「和食かイタリアンかな? 仁花ちゃんは?」
「じゃあ和食行かない? この前オススメのお店の聞いてそこ行きたいなって思ってて」
「じゃあそこに行こう」
待ち合わせの場所から遠くはないそのお店につくと、早々に仁花ちゃんは「そう言えばね」と切り出した。
「この前、影山くんから連絡来たよ」
仁花ちゃんの口から出てきた影山の名前に私は驚いて、出された水をこぼしそうになる。
「えっ」
「名前ちゃんのことで聞かれたから知ってることは答えんだけど、大丈夫だった⋯⋯?」
「私のこと?」
「私なんかが言うのは烏滸がましいんだけど、影山くん名前ちゃんのこと気にしてるみたいで、最近どうとか、彼氏はいるのかとか、そういうことをいくつか」
「そ⋯⋯なんだ」
「影山くんてバレー部のメンバーでたまに集まったときにも時々名前ちゃんが元気かどうか聞いてくるから今回もそういう感じなのかなって思ってたけど、いつもとちょっと違う感じだったから心配だったんだ」
どこから話そうと頭を抱えながら運ばれてきた飲み物を一口飲んで、影山と再会した日から今日に至るまでの事を仁花ちゃんに話す。案の定驚いた様子を見せた仁花ちゃんは運ばれてきた料理に手をつけることもなく唖然とし続けた。
「最初からこんな話題ごめんだけど、仁花ちゃんランチ食べて! 冷めちゃう!」
「ハッ⋯⋯ごめんね、食べる。さすがにちょっとそれは予想できなかったから驚いちゃって」
「わかるよ。私もそう思う」
「でも影山くん名前ちゃんのことずっと好きだったから納得だな」
「え?」
仁花ちゃんの言葉に今度は私の手がとまる。私の様子を見て仁花ちゃんは慌てて言葉を付け足す。
「ずっと好きっていうか、そうなのかなって勝手に思ってて。高校の頃もね、たまに影山くんから名前ちゃんのこと聞かれたりしてたんだ。別れた後も影山くんは名前ちゃんのことずっと気になってたみたいで、時々夢見たりするから忘れようにも忘れられないって。影山くんは困ったように言ってたけど、私は名前ちゃんのことすごく好きなんだなって思ったんだ」
「⋯⋯影山がそんなこと言ったの?」
「あ、や、ちょっと主観も入ってるんだけどね! でも間違ってはいないと思うんだ。だってね、あの日向でさえ影山くんが名前ちゃんのこと凄い好きなの認識してたし」
正直、私の知らないところで私の話をする影山も、恋愛事を口にする影山も全然想像つかない。嘘みたいなんだけど、とこぼすように口にすると谷地ちゃんは笑って「わかるよ。影山くんが恋愛の話してるの今でも不思議な感じするもん」と言った。
そっか。影山もそんなことで悩んだり、人に相談したりするんだ。
「勝手だけど、ふたりの気持ち知ってる立場としてはまたうまくいくといいなって思っちゃう。確かに影山くんってバレーばっかりで、ずば抜けたセンスがあって、他とは一線を凌駕するみたいなところあるけど、名前ちゃんのこと話すときは普通の男の子だったもん」
私は何も言えなくて、その場を凌ぐかのよう食べ物を口に運ぶ。
きっとずっと、影山のことをわかったつもりでわかっていなかった。
「⋯⋯私、影山に嫌われたくないんだ。ずっとそうだった。だから最初から物分かりの良い彼女でいようとした。だから私はずっと逃げてたんだと思う」
ずっと考えていた不安を口にして、仁花ちゃんはすぐに「大丈夫だよ」と言った。
「大丈夫。影山くんが名前ちゃんのこと嫌いになるなんてないよ」
そうだろうか。
そうだったら、良いけど。
だとしたら、私は嬉しいけれど。
「名前ちゃんは11月の試合見に行くの?」
「試合?」
「日向と影山くんの試合! カメイアリーナでやるんだよ」
「えっそうなの?」
「影山くんとかから聞いてない?」
「全然⋯⋯あ、でもなんかそれっぽいことを誰かSNSで言ってた気がする」
「チケットそろそろ発売されると思うんだけど、一緒に行く?」
「いいの? あ、でも国試模試の予定も確認してみないと」
前はよく影山の試合を観に行ってた。それが私の好きな時間だった。でも今の影山がする試合はあの頃の試合とは全然違う。広い体育館のセンターコート。観客全員がそこを見る。私はその一部で影山に気づかれることもない。本当は、それが正しい私と影山の距離感。
「うん。わかったら教えて」
私はまた影山を好きになってもいいのかな。そうやって、昔の悪いところが顔を覗かせる。
影山のことを運命の相手だとかそんなロマンティックなものとして考えたことはなかった。だけど私にとって影山は、離れてしまっても、常に私の心の内にいる、そういう忘れられない相手であることには間違いない。
私が、全力で恋をした相手。
好きな人に好きと言ってもらえること。少し汗ばんだ手が重なること。心臓の音が聞こえてしまわないか心配になりながら合わせる唇も、長い睫毛も、体温も、その声も。あの恋はもう二度とかえってくることはないけれど、あの恋は、あの恋だけは、私の青春を作ったと言っても過言ではない。
そしてそれが、今の私に繋がっている。それだけは揺るがない事実だった。
(20.09.23)