「試合お疲れ様」
「おう」

 目的もなくただ目の前の道を歩く。この場所でこんなことをするのも数年ぶりで私は一瞬、高校の頃の感情を思い出した。隣を歩く影山を必要以上に意識してしまって、どんな歩調で歩けば大丈夫なんだっけとそんな事を考えていた。

「久しぶりだな」
「うん」

 肌寒い風が吹き抜ける。もう少し厚着すれば良かったと1度家に戻ろうか迷う。

「寒くねぇのか、そんな格好で」
「え?」
「薄着だろ」
「いけるかなと思ったけど結構寒いね。宮城の11月をなめてた」
「俺の貸すから着ろよ」
「や、いいよ。そしたら影山が寒いじゃん。風邪引いちゃうよ」
「お前も同じだろ」
「私は良いんだよ。風邪引いても気合いで治すから。でも影山はスポーツ選手じゃん。体調管理も仕事なんだからダメでしょ」

 上着を渡そうとする影山の動作をやめさせる。確かに寒いことには変わらないけれど、影山が風邪を引いてしまうくらいなら絶対に私が引いた方がいい。日本の為にも。
 頑固として受け取らない姿勢を見せる私に、影山はため息を吐いた後、強引に私の肩に上着をかけた。

「いや、大丈夫だから! なんなら1回家戻るし⋯⋯適当に買うし!」
「面倒だから着とけ」

 秋風と冬風が混ざるような匂いと一緒に影山の匂いが香る。自分の物ではない物を纏っていることを痛感して、さっきまで威勢良くあんなことを言っていたはずなのに、言葉を失いそうになる。

「強情……」
「どっちが」

 大きすぎる影山のアウターを羽織ってまた目的のない散歩が続く。
 今日この約束を取り付けたのは一応影山のほうだ。何かしら私に話したいことがあると思うのに、影山は核心をつくような話題を出すことはなかった。
 大通りに入って駅に続く商店街を抜けようとすると、そこはもうクリスマス一色に染まっていた。まだ早いんじゃないかと思うクリスマスツリーに極彩色の電光。連なるイルミネーション。クリスマス前に始まる大売り出しのポスターが貼られてある。

「もうそんな季節なんだね」

 そう言えば私、高校の時に影山とイルミネーションを見に行きたいって思ったことがあるんだった。
 宮城県で有名なイルミネーションのスポットが載っているポスターを指差して影山に問う。

「影山はここのイルミネーション見たことある?」
「ねぇ」
「私さ、高校の時に影山と行きたいなって思ったことあるんだよね。まあ口には出さなかったけど。なんかそのときの事思い出した」
「言えよそんくらい」
「だって影山忙しかったでしょ。それに私は⋯⋯」

 私は12月、クリスマスよりも影山の誕生がある月って意識が強かった。皆がお祝いするクリスマスよりも、影山だけの特別な日を祝ってあげたかった。

「私はまあ、影山の誕生日におめでとうって言えたからそれで十分だったし。今年ももう少しだね。⋯⋯誕生日おめでと」
「いや早すぎんだろ」
「逆に一番乗りじゃない?」
「当日に言え」

 明日になれば忘れてしまいそうなくらい軽い口約束を交わす。開いているお店もシャッターを閉めようとして、商店街は徐々に静寂を迎えようとしていた。
 そう言えばここのお店はああだったねとか、これが美味しいんだよねとか、高校生の時には出来なかった会話を懐かしさに浸りながら話して商店街を抜けると駅前にたどり着く。
 人気は少ないけれど、等間隔にある街灯のお陰で危ない雰囲気は微塵もない。最終バスが終わったバス停は閑散として、タクシー乗り場には数人が列をつくっている。Uターンして家のほうに戻れる道を行こうと踏み切りを渡ろうとした手前、私は絞り出すような声で言った。

「あのさ。私、今日、試合見られて良かった」

 立ち止まる私の少し先で影山が振り向く。何をどう伝えたらいいんだろう。どうやって言葉にしたら届くんだろう。ずっとずっと忘れずに心の中にいた。何度もあの頃を思い返していた。私にとって影山は「恋」そのものだ。

「私、影山の試合見るの好きだったんだよね。上手いからすっごい気持ちいいし、かっこいいし、どんどんバレーのルールわかっていくのも嬉しかったなあって。あの時の事思い出してた。だからなんか、本当によかったよ。楽しかった」

 影山は少し苦しそうに私を見つめる。

「⋯⋯名字、俺は」

 距離を詰めるようにこちらに近づくと、眉間に皺を寄せた影山の顔がよく見えた。何かを躊躇うように視線をさ迷わせた後、決意を固めたように私を見る。

「お前が好きだ。今も、昔も」

 踏み切りの音が鳴り出して遮断機が降りる。遠くで電車がやってくる気配がして、しばらくすると私の背後を電車が過ぎ去っていった。それからまた静寂がやってきて、私は影山の言葉を何度も何度も心の中で繰り返していた。
 季節も時間も音も光りも、全部がどうでもよくなってしまうくらい一瞬にして影山に支配される。
 好きと告げた影山は表情を変えないまま私を見ていた。何か答えなければ。そう思うのに言葉が見つからない。私だって好きだと思っているのに、言おうと思っていたのに、いざ同じ気持ちをぶつけられると正解の返事がわからなくなる。

「⋯⋯あの、私⋯⋯」
「悪い」
「え?」
「いきなり。ビビっただろ」
「あ⋯⋯いや、ううん。全然⋯⋯」

 嘘だ。ビビった。だってそんなこと言われるなんて想定にはなかった。影山はいつも私に何かを言いたそうにしていたけれど、それはこの言葉だったんだろうか。
 そもそも同じ気持ちだからと言って丸く収まるわけじゃない。影山は来シーズン、日本にはいないのだ。影山が何かを求めて言ったのか、ただ伝えたかっただけなのか私にはわからない。
 けれど言われた言葉を徐々に実感して、嬉しいと思う気持ちにも嘘はつけない。今すぐ「私も」と言えればいいのに。言えないだけの未来が目の前に存在するんだったらせめて今少しだけ時間が止まってしまえばいい。

「⋯⋯遅くならないうちに帰るか」
「う、うん」

 影山の隣を言葉もないままゆっくりと歩いて、帰路につく。私と影山が過ごす宮城の夜はもう終わろうとしている。

(20.09.25)