11


 ロシアのクリスマスが12月25日ではないと知ったのは、エカチェリンブルクに来てからだった。1年目の冬「ロシアの人はクリスマスってどんな風に過ごすの?」と聞けばソーニャは「ロシアはロシア正教に従ってクリスマスは1月7日なの」と教えてくれた。
 世界中どこでもクリスマスは12月25日だと思い込んでいた私には衝撃的で、それと同時に自分の知識はとても狭く、培った常識はどこでも通用するわけではないということを知った。
 ただ、それでも私はアドベントカレンダーを開けるし、シュトーレンも食べる。染み付いた感覚は1年や2年では拭えないのだ。

「名前、近いうちいつ空いてる? クリスマスマーケット行こうぜ」

 衛輔くんに言われたのは12月も半ばを過ぎた日のことだった。
 クリスマスは新年後とは言え、この時期になれば多くの都市でクリスマスマーケットは開催される。もちろんエカチェリンブルクも例外ではなく、気がつけば広場にはいくつかの木製の小屋が並ぶようになって年の瀬の慌ただしさと浮足立つ情緒で溢れていた。
 クリスマスの色が一層濃くなる。

「仕事終わりならいつでも。今週末でもイブでもクリスマス当日でも日本と比べたら全然忙しくないから衛輔くんに合わせるよ」

 キーラとソーニャと共に夜ご飯を食べた帰り、いつものように途中まで送ると申し出てくれた衛輔くんとエカチェリンブルクの夜を並んで歩く。
 お互い帽子を被って、イヤーマフをして、マフラーをまいて、手袋をはめている。年の瀬のエカチェリンブルクはこれでもまだまだ寒い。

「じゃあ24日は?」

 外気にさらされる衛輔くんの頬は、赤く寒そうだ。きっと私だって同じだろう。口元をマフラーに埋めて吐き出す息で暖を取る。寒いけど嫌じゃない。そう思えるのは多分、なにかしらの魔法だ。
 衛輔くんが指定したクリスマスイブ。返事をもったいぶるような理由もない。むしろイブなのにいいの? と思うけれど、ここはロシア。例えば日本で恋人同士が愛を囁き合っていても、ここでは通過点の日に過ぎない。若い世代やキリスト教徒の人はパーティをする人もいるけれど、大抵の人は普通に過ごす。そんな日。

「じゃあ24日に一緒にクリスマスマーケットだね!」

 こうして私と衛輔くんのクリスマスイブの約束が取り交わされたのだった。


*   *   *


「ナマエ、今日一緒に夜ご飯食べに行かない?」
「ごめん、今日衛輔くんとクリスマスマーケット行く約束してるんだ。あ、レルーシュカも一緒に行く?」
「ダメダメ。行けるわけないでしょ。モリスケとナマエの間に入って邪魔なんてしたくない」
「……レルーシュカは私と衛輔くんの関係を誤解してるよ……」

 24日当日、仕事中レルーシュカに誘われ、逆に誘い返せば呆れたような声でレルーシュカは言った。
 時刻も夕方に差し迫り、あと1時間もすれば今日の仕事は終わりだ。お店まで迎えに来てくれると言う衛輔くんを待って、そのままクリスマスマーケットへ行くという流れである。
 
「付き合っちゃえばいいのに」

 レルーシュカは言った。

「そんな簡単な話じゃないよ」
「どうして? モリスケの事好きでしょ?」
「好きだけど、友達の好きと恋人の好きは違うし」
「恋人の好きにはなれない?」
「そうじゃないけど……でも衛輔くんにだって選ぶ権利はあるよ」
「モリスケはナマエから好かれてたら嬉しいと思うんじゃないかな」
「んー……どうだろ」

 衛輔くん、私のことそんな風には捉えてないと思うけど。きっと言ったところでレルーシュカは納得してくれないだろう。それになにより、私は満足してる。衛輔くんとの関係において、不足しているものは何もないと感じるのだ。
 冬の寒い日に寒いねって言いながら街を歩く。それだけでもう十分特別な気がするし、それ以上を望みたいとも思えない。宿したことのない不思議な感覚に名前をつけるだけの知識は持ち合わせていないけれどそれがいかに贅沢なことかはわかっているつもりだ。
 エカエチェリンブルクで衛輔くんと出会えたことは私にとって多分、奇跡にも近い。

「あ、モリスケ」
「えっもうそんな時間!?」
「練習終わるの早かったからここで待たせてもらおうと思って」

 鈴の音と共に入ってきた衛輔くんは肩についた雪をはらってそう言う。窓の外を見ればはらりと舞うような粉雪がいつの間にか降り出していた。
 空いていた席に衛輔くんを案内してコーヒーを置く。

「寒かった?」
「この間よりはマシくらい」

 でも鼻が赤くなってるしやっぱり寒そう。ひざ掛けいる? と訊ねようとしたけれど、先に言葉を紡いだのは衛輔くんだった。

「今日すげえ楽しみで、他で時間潰さずにまっすぐそのままここ来たけど、忙しかったら慌てなくて大丈夫だから」

 優しい笑顔。そして、降り積もるは雪ばかり。

(21.02.06)