12


 夜の広場に、観覧車の光が映える。
 広場の奥、連なった小屋の最後にある観覧車は隣にある百貨店に負けないくらいの存在感を放っていた。近くにあるメリーゴーランドからは陽気な音楽が流れていて、それは一瞬、凍てつく寒さも忘れるくらいの美しい眩さだった。

「違う場所に来たみたい」
「今年、初クリスマスマーケット?」
「うん。衛輔くんと来るために我慢してた」
「まじかよ」
「だって私も楽しみだったし」

 絶え間なく光るイルミネーション。たくさん並ぶ小屋の向こうにはスケートリンクもある。整頓されたマトリョーシカ。ジェドマロースの置き物。グリューワインの香りに混ざって甘い焼き菓子の良い香りもする。
 これが1月7日まで続いていく。

「去年はソーニャと来たんだっけ」
「そう。しかも昼間だったから夜にちゃんと来るのは初めてなんだ。ロシアの冬は寒すぎて出不精になっちゃうけど衛輔くんいるから寒くない」
「なんだよそれ」
「テンションあがってるってこと」

 夜が弾けるように光っている。まるでおもちゃ箱だ。子供も大人も関係ない。皆が楽しくなっちゃう。そんな場所。

「じゃあめいっぱい楽しもうぜ」
「うん!」

 衛輔くんは綻ぶような笑みを見せた。空気を含んだ大きな雪の粒が舞い落ちてくる中、イルミネーションの光に照らされた衛輔くんの表情はとても優しくて心ばかりが勝手に温まっていく。

「とりあえず歩いて何あるか見てみるか」

 こんな時に手を繋げるような関係性ではないけれど、人混みの中ではぐれてしまわないようにといつもより衛輔くんに近づいた。ロシアの人は恰幅の良い人が多いから気を抜けばきっと私と衛輔くんは簡単に離れ離れになってしまうだろう。

「もしはぐれたら電話してね」
「その時は中央のクリスマスツリーの下で待ち合わせな」
「こういう会話するとはぐれそうな気がしてきた」
「大丈夫だって。名前のことちゃんと見てるから」 
「それはそれで子供みたいじゃない……?」

 お互いの吐き出した白い息は、混ざり合って空へと消えていく。始まったばかりの夜をこんなにも愛おしいと思うのが自分でも不思議だ。

「あ、ちょっと待って」

 そう言い、かじかむ手でイルミネーションをカメラに収めた。いつかこの写真を見て、衛輔くんと一緒にクリスマスマーケットに行ったんだと思い出す為に。

「名前」
「うん?」

 少しだけ離れて私を見守るように立っていた衛輔くんが私の名前を呼ぶ。騒がしさも寒さも関係なくその声は真っ直ぐ私に届いて、振り向くと同時にスマホをこちらに向けた衛輔くんが目に入る。理解するよりも先に小さくシャッター音が聞こえて、写真に撮られたということだけがわかった。

「……衛輔くん、撮ったね?」
「楽しそうだったからつい」
「今の間抜けな顔してない!?」
「え? 可愛いと思うけど」

 こともなげに言われると逆に照れる。からかうように言ってくれたほうがまだ笑えるのに。可愛いって言われたことか普通に嬉しいなって思ってしまう。

「後でクリスマスツリーの前で一緒に撮ろうぜ」
「……わかった」
「なんだよその顔」
「私ばっかりが浮ついてるなぁって」

 不服そうにそう言えば衛輔くんは瞬きを繰り返して、そして笑った。ひとしきり声を出して笑ったあとに呼吸を整えた衛輔くんは私の瞳をちゃんと見て「いや、実際俺もかなり浮ついてる」そう言ったのだった。
 その一瞬、私は先程レルーシュカに言われた言葉を思い出した。

――付き合っちゃえばいいのに。

 そんな簡単な話じゃない。衛輔くんにだって選ぶ権利はある。そう思うのは変わらないけれど、もし衛輔くんに恋人が出来たらきっとこんな風に時間を共にすることは出来ないだろう。ヴィソツキービジネスセンターの展望台はその子と行くだろうし、クリスマスマーケットに誘われることもないかもしれない。遠征先の写真が送られてこなくなったり、お店に来る頻度が少なくなったり。
 そう考えると寂しい。寂しいけど、私の作ったシャルロートカを衛輔くんが美味しいと言ってくれるならもう、それだけで私は十分だ。でも、だからこそ願う。この夜が終わらなければ良い、と。

「浮かれついでにスケートも一緒にやりたいから付き合って」
「衛輔くん滑れるんだっけ?」
「わかんね。でも多分名前よりは出来る気がする」
「……まあなんて言っても私は産まれたての子鹿だからね」

 そう言って笑い合えばいつもの穏やかな空気が舞い戻る。ややこしい事をややこしく考えるのはやめよう。今日はクリスマスイブなんだから、楽しい事だけを考えよう。

「あ、シャシリクある! 美味しそう!」
「食う?」
「食う!」
「じゃあ飲み物も買ってあそこで食うか」

 衛輔くんの視線の先にはテント小屋がある。あそこには屋外ヒーターもあるから少しは暖かいはずだ。香ばしい肉の香りに導かれながら、シャシリクを購入する為に二人並んで列の最後尾に向かうのだった。

(21.02.10)

※シャシリク……肉の串焼き
※ジェドマロース……霜の精。ロシア版サンタクロース