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 1月も半ばを過ぎれば、さすがに市内のクリスマスツリーは全てなくなって人々はいつも通りの日常を過ごすようになっていた。冬のセールが街を彩り賑わいをみせ、帰り道につい寄り道をしたくなる衝動を抑える日々が続く。
 まだ終わらない冬に思いを馳せながら、眠りにつく少し手前の時間、細部まで暖房が行き届いた部屋で私はモスクワにいる衛輔くんと会話をしていた。横に長いロシア。今、私と衛輔くんには2時間の時差がある。

「衛輔くんもしかして今筋トレしながら通話してる?」
『ばれた?』
「ばれてます」
『どうせなら名前も一緒にする?』
「残念……お風呂上がり」
『じゃあ駄目だな』

 スピーカーにしたスマホからは衛輔くんの笑い声が聞こえてくる。長話をするつもりはなかったけれど、1度話をしてしまえばあれも話したいしこれも話したいと尽きない話題でいろんな事を話してしまう。
 衛輔くんは迷惑がるでもなく、嫌がるわけでもなく、ちゃんと話を聞いてくれるから私はついそれに甘えて新しい話題を次々と広げてしまうのだ。

「そうそう。でね、先週から新しいスタッフが増えてね。大学生のバイトだから頻繁にお店にいるってわけじゃないんだけど、もしかしたら次に衛輔くんが来た時会うかもしれない」
『お、そっか。そっちに戻るの今月末だけど戻ったら会いに行くつもりだからその時会えるかもな』
「うん。しっかり働いてくれるし話してても面白いから衛輔くんも気に入ると思う。男の子だし、私より気が合うんじゃないかな」

 長期でエカチェリンブルクを留守にする時、衛輔くんは帰ってきたらいつもお店に来てくれる。この前ポーランドに行っていたときもそうだったように、なにかしらのお土産を携えて。きっと今回もモスクワのお土産を持って会いに来てくれるのかもしれない。
 遠出した先で私の事を考えて選んでくれたお土産も嬉しいけれど、私が1番嬉しいのはエカチェリンブルクに戻ってきた時に衛輔くんが「ただいま」の意味を抱えて会いに来てくれる事だ。それこそが私にとっては1番嬉しい。まあそんなの流石に口には出せないけれど。

「あ、そうだ。モスクワはどう? 寒い?」
『めちゃくちゃ寒い。いつ俺が氷像になってもおかしくない。ホテルは快適だけど』
「あはは。風邪引かないで頑張ってね。衛輔くんの活躍はちゃんと逃さずにネット配信でチェックしてるから」
『じゃあすげえかっこいいところ見せないと』
「衛輔くんはいつもかっこいいじゃん」
『……まじ?』
「まじだよ。この前の試合だって観覧しながらソーニャとかっこいいよねって話してたよ」

 スマホの向こう、私より2時間前の時間を過ごす衛輔くんは嬉しそうな表情をしているのかな。
 少しだけあいていたカーテンを閉じようと窓際に行く。隙間から見える外の景色。冷え切った夜は星空がよく見える。澄んだ夜の空。明日も氷点下を下回るだろう。

「明日も寒いね」
『ん? ああ、だろうな。名前も風邪ひくなよ』
「うん」

 カーテンを閉めてベッドに横になると衛輔くんの声は子守唄のように心地の良いものになって、まどろみが優しく私を包み込んだ。気づかれないようにと隠れてこぼしたあくびは衛輔くんにまで聞こえていたようで、小さく笑い声が聞こえる。

『そっちはもう11時30分か。眠そうだし切ろうか?』
「うーん……なんか衛輔くんの声聞いてたら安心して眠くなってきたんだよね。でももう少し話したいし葛藤してる。さすがに寝落ちはしないように頑張るけど」
『無理すんなって。そっち帰ってきたら行くって言ったし』
「」だよね。衛輔くんもやることあるしね」
『いや俺はいいんだけどさ。眠そうにしてる名前も面白いし』
「寝言言ってたら笑って」
『録音する』
「それは恥ずかしいかもしれない……」
『はは。じゃあ寝言言う前に切るか』
「うん」
 
 まどろみが深くなる。このまま眠気に逆らわずに夢路を進んだらきっと良い夢が見られるんだろう。安心感に抱きしめられたように力が抜けて、今日一日の疲れが身体の奥深くに沈んでいく。

『おやすみ、名前』
「おやすみ、衛輔くん」

 通話を切るボタンと部屋の電気を消すボタンをなんとか押すせばしっとりとした暗闇が部屋に訪れる。耳に残る衛輔くんの声を反芻させた。おやすみの言葉を繰り返して、私はゆっくりと夢へと落ちていく。
 痛みを伴うような冷たい明日がやってこようとロシアはいつも私に優しい朝と夜を与えてくれる。

(21.04.05)