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 おおよそ6畳ほどの部屋の中で小さく鳴るスマホの目覚まし音を止める。完全に閉じきれていないカーテンの隙間からみえた窓の向こうは薄暗いままだったけれど、仄かに射し込む光に朝の始まりを告げられた。

(う⋯⋯まだ眠い⋯⋯)

 ロシアと言えば極寒のイメージがあるかもれないけれど当たり前に夏はある。春も、秋も、長めの冬もちゃんとある。ひととせを巡って私はようやく自分がロシアで生きているんだということを実感した気がする。世界のどこにいても季節はちゃんと巡ってくるのだと知らしめられる。

「しかも⋯⋯寒い⋯⋯」

 目が覚めた瞬間感じた室温に、もう秋も深まりを見せているのだと感じた。そっか。そうだよね。ここ最近、週末になれば市場でリンゴを買ってシャルロートカを作っているんだから。
 そろそろ暖房を絶やしてはいけない季節に突入すると覚悟を決めながら朝の支度を終わらせ、いつもより少し防寒に力を入れて築云十年アパルトメントの外に出た。先程よりも少し明るくなったとは言え、この季節は日の出も遅い。雲のかかる空の下を歩き、やってきたトラムに乗り込む。
 窓からは朝早くから開店しているスタローバヤが早くも賑わいをみせているのが見える。すでにマフラーを巻き始めているおばさん。早朝の犬の散歩をしているおじいさん。見慣れた光景に、私はトラムに揺られた。


*   *   *


 エカチェリンブルクの中心にある1905年広場を抜けた先に、私の勤める菓子店はある。もちろんビザの関係で働き方に制限はあるけれど、それでもここで日夜暮らしていけるだけのお金はどうにか工面できている。細々とではあるけれど。
 大きなあくびをこぼしてから、いつものように準備を始めてお店を開店させた。お店に並べられるケーキや焼き菓子の種類はそう多くはない。私が作る日は日本らしい和菓子が並ぶこともある。
 柔軟に対応するこのお店は決まりなんてあってないようなもので、それでも私は時期になると漂うシャルロートカの香りが特に好きだった。リンゴの甘くて爽やかなどこか懐かしくも感じる香り。

「ドーブラエウートラ」

 私の少し後からやってきた同僚と共に、ショーケースにお菓子を並べているとお店のドア鈴が鳴って、少し片言のロシア語が耳に届いた。

「衛輔くん! おはよ、久しぶりだね」

 開店と同時にやってきたのはエカチェリンブルクでの私の唯一の日本人の友人、夜久衛輔くんだった。

「おはよ。昨日名前に連絡したんだけどスマホ見てない?」
「えっ見たけどきてないよ」
「まじか。夜送ったつもりだったんだけどなー」
「なんかあった?」
「あ、いや明日って言うか今日⋯⋯今? 遠征のお土産渡しに行くわって連絡。今日いてくれて良かった」
「そっか。そういえば遠征行ってくるって言ってたもんね」

 お店の中にあるイートイン用の椅子に座った衛輔くんはそう言って私に紙袋を差し出す。常連さんを越えてこのお店の準レギュラーのような存在の衛輔くんに暖かい紅茶を出して、仕事をしながら衛輔くんと会話を続けた。
 日本だと仕事をしながらお喋りなんて「なってない!」と怒られそうなものだけれど、ここではそんなことはない。時間はいつもゆっくりと、自分達のために流れる。

「お疲れ様。あと、おかえりなさい。今回はどこ行ってたの?」
「ワルシャワ」
「ポーランドだ」
「そ。前にマグカップ割ったって言ってたろ? あとポーリッシュ食器ほしいって。だから土産はポーリッシュマグカップ」
「えっ⋯⋯どうしようすでにめちゃくちゃ嬉しい⋯⋯」
「デザインは俺チョイス」

 衛輔くんは得意気に話して、私はもらった紙袋を覗いた。緩和材を外してお目見えしたマグカップに私は混み上がる喜びを隠しきれずに、衛輔くんの名前を呼ぶ。

「なにこれ⋯⋯めっちゃ可愛い! 完璧すぎる⋯⋯!」
「だろ。名前は絶対にこれだと思ったんだよな」
「衛輔くん凄すぎるよ。私のこと丸わかりだよ。その気になれば手のひらで転がせちゃうよ」
「チョロすぎか」

 早速このマグカップを使っている自分を想像しながら幸せな気持ちになって、単純すぎる私を見て笑う衛輔くんに私はまたちょっと幸せな気持ちを貰える。

「お礼⋯⋯あっシャルロートカ!」
「お、作ったんだ?」
「そう。相変わらず衛輔くんだけしか好評してくれないけど」
「普通に旨いんだけどな。甘さとかちょうど良いし」
「逆にこっちの人には物足りないのかな。ただでさえ砂糖使うのにこれ以上追い砂糖するのなんか抵抗あるんだよね」
「追い砂糖は斬新だろ」
「今渡せるのそれくらいかな。あ、並んでるやつ選んでも大丈夫だけど」
「いや」

 衛輔くんにはシャルロートカをって決まりになってしまうのは申し訳ないなと、そう言ってショーケースに視線を移そうとしたけれど、衛輔くんはすぐに断りの言葉を言った。そして頬杖をつきながら私の瞳を見て言うのだ。

「シャルロートカがいい。名前が作ったやつ」

 シャルロートカみたいに甘くて優しい、爽やかな笑顔で。 

(20.11.26)

※スタローバヤ⋯⋯ロシアの大衆食堂