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 お店を閉めてレルーシュカと一緒にトラムの乗り場まで移動している時、レルーシュカは言った。日本では桜前線のニュースが流れている頃かもしれないけれど、エカチェリンブルクはまだ長い冬を越せないままだ。
 
「そう言えば先週はモリスケから何かもらったの?」
「先週……あ、祝日の?」
「ええ」

 レルーシュカが指したのは国際婦人デーのことだ。衛輔くんには耳にタコが出来るほど何もいらないからと念押しした為、お礼の品は受け取ってはいない。品は受け取ってはいないが、その日衛輔くんからきた連絡を思い出す。

『今日、多分なにかあげたら逆に困らせそうだから何もしないけど、キーケースも普段もめちゃくちゃ感謝してるし、本当にありがとな』
『ううん。むしろ連絡くれてありがとう』
『物はあげないけど、やっぱり何かしたいと思って』
『え』
『いつでもいいし、何でもいい。名前が俺にしてほしいって思ったこと、何でも叶えるから』
『いやいや。いいよ、そんなの。思い浮かばないし』
『いつでもいいから。5年後でも10年後でも。言ってくれたら何でもする』

 5年後。10年後。果たして私は衛輔くんと繋がりがあるのだろうか。そんな一抹の不安が過りながらも衛輔くんの言葉に『ありがとう』と返す他なかった。
 自分の為に尽力してくれる人がいる。それだけでもう十分心強い。

「特に何もないよ。て言うか私が何もしないでねってしつこく言ったんだ」
「なんか想像出来る」

 軽やかな声色でレルーシュカは笑った。

「モリスケは今年のシーズンもエカチェリンブルクのチームと契約したんだっけ?」
「うん、そうみたい。この前そう言ってた」
「良かったね」

 良かった。心の中でしみじみと思う。また1年、衛輔くんがエカチェリンブルクにいる。私のビザも半分を切ってここにいられる時間は1年半ほどになってしまったけれど、それが切れるまでは出来るだけ一緒に居られたら嬉しい。
 エカチェリンブルクでの思い出はたくさんあるけれどその要所要所に衛輔くんがいて、歳を重ねていつかシワシワのお婆ちゃんになっても私はきっとこの日々を愛しく懐かしむのだろう。寒さを忘れるほどの温かい陽だまりのような日々を。

「あ、衛輔くんからメッセージだ」
「なんて?」
「夜ご飯まだなら一緒に食べないかって」
「いってらっしゃい」
「レルーシュカも一緒に行く?」
「ううん。たまには一緒に食べたかったけど今日は親が遊びに来てるの」
「そっか。それなら仕方ないね。また今度みんなでご飯行こう」
「ありがとう。モリスケにもよろしくね」

 行く、と連絡を返してトラム乗り場の前でレルーシュカと別れる。衛輔くんが提示したお店が近くだったから1人で歩いて向かうと、お店に着くよりも先に道端で衛輔くんと会ってしまった。
 小走りで駆け寄って、いつものように名前を呼ぶ。

「おつかれ」
「衛輔くんも。遠くからでも衛輔くんいるってわかった」
「まじで?」
「うん。まさか道端で会えるなんて思わなかったけど」

 冬の装いは変わらず、それでも少しずつ短くなる夜の時間に新しい季節の訪れを感じずにはいられない。

「すっごいお腹空いてたから誘ってもらえて良かった」
「そしたらめちゃくちゃうまいもん腹一杯食べようぜ」
「食べる! あ、そうだ。改めて契約続行おめでとう」
「サンキュ」

 お店に辿り着くと、暖かい空調にスッと身体の力が抜けた。団体で盛り上がるテーブルの前を通り抜け2人掛けの席に案内され、目の前にメニュー表が置かれる。
 メニュー表越しに、目の前に座る衛輔くんを見た。
 出会ってから私達は何か変わったかな。それとも何も変わらないままかな。冬が終わり春が来て、そして初夏の清涼な風が吹き抜ける頃、衛輔くんはまた私の作ったシャルロートカを食べてくれる。そんな未来を思い描けるくらいには、きっと私達は親しくなった。

「なんか名前ご機嫌だな」
「ん? んー、これからも楽しいことたくさんあるんだろうなって思ったら嬉しくなってきて」

 耐えきれずに答えると、きっと私がそんなことを考えているとは思わなかったんだろう衛輔くんは少し驚いて、そして笑みを見せた。

「また色々一緒に行けたらいいよな」
「あ、今度マトリョーシカの絵付け体験しに行きたいんだけど衛輔くんどう?」
「え、そんなのあんの?」
「あるらしいよ。せっかくだからロシアいるうちに体験しておこうかなって」
「じゃあ行くか」
「やった。約束ね」
「おう」
 
 これまでそうしてきたように約束を重ねる。
 ただ一緒にいたら楽しい。私と衛輔くんを繋ぐ理由は今でも変わらない気がする。これから先の未来、私達の関係に明確な名前がついてもつかなくてもそれは変わらないだろう。

 そして季節は5月。エカチェリンブルクにもようやく春らしい季節がやってくるのだった。

(21.04.12)