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衛輔くんがアパルトマンの前まで送ってくれたことは今までだって何度かあった。でもそれは近くで夜ご飯を食べたときや時間が深夜に近くなってしまったときで、こんな風にわざわざトラムに乗らないといけない距離、しかも特に遅いわけでもない時間にそう言われたのは初めてのことだ。
「ごめん。嫌じゃなかった?」
「え、なにが?」
「アパルトマンまで送るって言ったこと」
「全然嫌じゃないよ。どうせならもう少し一緒にいられたらいいのにくらい思ってたから」
「……まじで?」
「うん。だってこんなに長く会えなくなるの初めてだもんね。スマホがあるから連絡はいつでも出来るとは思うんだけど、いつもみたいにバイバイするは少し味気ないなって」
珍しく安堵したような表情をそっと見上げる。
私の住む地区へ向かうトラムに乗ってしまったんだから今更嫌なんて言うわけないし、思うわけもない。
「あ、でも」
「ん?」
「試合とか練習とか大変そうだし、あんまり頻繁には連絡とらないようにしないほうがいいかな!?」
「なんでだよ」
連絡はいつでも出来ると言ったけれど、ふと国の代表として世界と戦う日々を送るだろう衛輔くんに気軽に連絡するのは迷惑なのではないかという心配が芽生えた。
時差もあるし迷惑だけはかけたくないと放った言葉に、衛輔くんはちょっとだけ呆れたように笑う。
「だって……なんか忙しそうだなってイメージ?」
「だからこそ名前からも連絡してくんないと心配になるだろ。元気にしてるかとか、ちゃんと飯食って運動してるかとか」
「最後のでちょっとトレーナーみたいになった。ていうかお母さんみたいだよ、衛輔くん」
いつもより近い距離で笑いあうのはトラムの中が少しだけ混雑していたから。まばらな人通り。LEDで光る街。私達を揺らし、トラムは走る。
「次だよな?」
「うん」
さっき食べたご飯のこと。明後日の飛行機のこと。普段と変わらない話題。トラムの走るスピードも、いつもとなにも変わりはないはずなのに、いつもよりも停留所に着くのが早い気がする。さほど長くはない一区間分の距離を走ったトラムは私たちが降りたのを見届けると、次の停留所へと向かって夜に姿を消した。
(うーん……)
お互いここまで仲良くなってから何カ月も会わないのは初めてだったから、だからなんとなく離れがたいと思ってしまうんだろうか。
「部屋の中入る? せっかく送ってもらったし、そんなにおもてなしは出来ないけど」
「あー……今日は辞めておく。悪い、誘ってくれたのに」
「ううん。無理にとかじゃないし。衛輔くんの帰る時間が遅くなっても困るもんね」
部屋には上がれないと言われたし、ここまで来たらもう「頑張ってね」と言って別れるしかない。永遠に会えなくなるわけでもないし、それこそ私はテレビやネットでその活躍を知れるわけだし。
じゃあ、と切り出そうとした言葉は衛輔くんの言葉によって消された。
「でも名前に話したい事あるから、少しだけ時間くんない?」
「話したいこと?」
「本当はこっちに戻ってきてから言うつもりだったんだけど、やっぱり帰国する前に言っておこうと思って」
わざわざこんな風に前置きしてまで衛輔くんが言いたい事とはいったい。まったく予想のつかない内容に私は次第に緊張を覚えた。予想はつかなくても、せめて重大な何かを言われる覚悟だけはしておこうと「う、うん」と生唾を飲む。
私が雰囲気に緊張しだしたことを悟ったのか、衛輔くんは「そんな硬くならなくて大丈夫だって」と私を和ませる声色で笑顔を見せた。
「俺が名前のこと好きだって話だから」
「あ、そういう……ん? え?」
「こっち戻ってきたら付き合いたいなって」
衛輔くんの言葉に頭の中が真っ白になって、ただただ瞬きを繰り返す。
「名前は俺のことそういう風にみてなかったかもしれないけど、俺はずっと名前のこと好きだなって、付き合ったらもっと楽しんだろうなって思ってた」
私も好きだよ。衛輔くんと一緒にいるの楽しいし。でも今、衛輔くんがそういう話をしているんじゃないのはよくわかっている。
これまでの日々を思い返して何を言えば良いのかわからないまま、私は衛輔くんの瞳を見つめた。
「俺としては結構良い感じだと思ってたつもりなんだけど」
少し熱の籠ったような目線。外の肌寒さも忘れて、体温が上昇してしまう。
「驚いた?」
「お、驚いた……」
「そういうわけだから返事はこっち戻ってきたら聞かせてくんない?」
返事を急かすわけでもない衛輔くんは、告白した側なのに動揺も緊張もしていなくて、まるでそれを伝えるのが至極当然であるかのように落ち着いた調子だった。
どうしよう、直視できない。視線を反らした私に衛輔くんは言葉を続けた。
「じゃあ俺帰るわ」
「えっ」
「これ以上一緒にいたら名前の気持ち知りたくなるし。会えない間ゆっくり考えてて。な?」
「……わかった」
まだ帰らないでと手を伸ばしそうになった自分にも驚いた。告白というものはこれまで数回だけされたことはあるけれど、今までのそれとは全然違う感覚。身体を纏うようなこの熱をなんと表現したら良いんだろう。
「あ。連絡はいつでもオッケーだかんな」
ああ、でもちょっと、衛輔くんの耳が赤い。街灯の下、短く切られた衛輔くんの髪の毛ではそれは隠されない。言葉を紡ごうにも何を言えば良いのかわからなくて、結構やってきたトラムに乗り込んだ衛輔くんに手を振るのが精一杯だった。
衛輔くんの言葉が、いつまでも頭の中で繰り返される。あんな風にストレートで臆せず、まっすぐに瞳を見て好きだと言われたのは初めてだったこと、衛輔くんはきっと知らないだろう。
(21.05.31)