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 ロシアの首都であるモスクワと比べてエカチェリンブルクの緯度は低い。それでも日本と比べれば高緯度なため、同じ9月とはいえ朝夜は随分と冷え込む。
 観光や生活をするには快適な季節とは言われているものの、日本で茹だるような真夏の暑さを生きてきた私にとって、エカチェリンブルクの初秋は「寒い」の一言に尽きた。
 それでもこの寒さはまだ可愛いものだ。これから冬将軍がやってきて、氷点下を大きく下回る日々が続くだと思うと溜め息を吐くしかない。

「寒っ」

 カフェテリアを出てすぐ出た言葉はそれだった。まだ18時なのにもかかわらず外はすっかり夜が更けていて、いつもより防寒に気合いを入れて家を出たと言うのに、私の考えを嘲笑うかのようにエカチェリンブルクの秋風は容赦なく吹き荒れていた。

「手袋は?」
「まだマフラーだけで大丈夫かなって思って持ってこなかった」
「今日一段と冷え込んでるもんな」
「まだ9月下旬なのに⋯⋯」
「悪い、なんか貸してやりたいんだけど俺も手袋持ってきてなくてさ」

 衛輔くんがボディバッグの中をまさぐりながらそう言う。自分自身だってダウンにマフラーと、私とそう変わらない格好なんだからきっと同じくらい寒いだろうに。そういう風に当たり前に他人に優しく出来ちゃうところが衛輔くんの良いところだよなあと思いながら、衛輔くんが何か防寒出来るものがないかと探す動作をやんわりと止めた。

「いいよいいよ。地下鉄乗れば少しは暖かいし」
「じゃあ暖まるためにも早く店向かうか」
「うん。ありがと」


*   *   *


 キーラおすすめのペリメニのお店は地下鉄の出口から徒歩数分の場所にあった。お店おすすめのきのこのペリメニと、冷えた体を温めるために魚介スープのウハーを頼めば、程なくしてそれらはテーブルの上に並べられる。
 少なくともロシアでは「いただきます」という意味を持つ言葉はない。日本語でそう言ってからペリメニを口に運べば、一口大の大きさに折り畳まれたモチモチとした生地に私の頬は緩む。中にはボリュームのある餡がしっかりと詰め込まれていて、長時間煮詰められたブイヨンがじゅわっと溢れだした。

「衛輔くんこのペリメニ、噂通りにめっちゃ旨いよ!」
「教えてくれたキーラに感謝だな」
「ウハーも美味しいし幸せ⋯⋯。前にグルジア料理のお店で食べたヒンカリも好きだし、私多分こういう感じの食べ物好きなのかもしれない」
「あー、じゃあポーランドのピエロギも好きかもな」
「遠征先で食べた?」
「食べた」
「旨かった?」
「旨かった」
「よし、今度は一緒にポーランド料理店行こう!」

 そうやって私が嬉々として言えば衛輔くんは同じようも表情を見せてくれた。寒さで打ちひしがれていたこともすっかり忘れて、私はペリメニに舌鼓を打つ。
 身体の中心からゆっくりと温まっていく感覚。こういう時、寒さも案外悪くないと思ってしまう。

「さっき仕事中、レルーシュカと話して思ったんだけどね」
「ん?」
「私は勢い任せでエカチェリンブルクに来たけど、衛輔くんはバレーのスキルを磨くために来たでしょ? 私がコートを捨てないまま、バーブシュカと知り合わないまま、ずっと日本にいたままだったら、衛輔くんこんな風に一緒にペリメニ食べることってなかったんだなって。私がシャルロートカを作るとこはないし、衛輔くんがそれを食べて美味しいと言ってくれることもないし。そうやって考えた時にさ、私がバーブシカと出会ったこととかエカチェリンブルクで暮らしていることとか、衛輔くんと知り合えたこととか、何かしらの深い意味があるんじゃないかなって思ったんだよね」

 ひとしきり私の長い言葉を聞いた衛輔くんは、呆気にとられたような面食らったような顔をした後、くつくつと喉を鳴らして笑った。それから堪えきれなくなったのか、とうとうお腹を抱えるようにしていつもの調子で笑い声をあげたのだった。

「すごい笑うじゃん、衛輔くん」
「悪い。いやだって難しく考えすぎだろ。別に日本にいたって食べるし。つーか、もしものこと考えても仕方なくね? 意味があるないはきっと死ぬ時でもわかるんじゃねえの? 出会ったものは出会ったんだから良いだろ、それで。俺は名前と知り合えたこと、すごくしっくりきてるけど」

 声色は柔らかい。諭すわけではないのに衛輔くんの言葉にはある種の説得力があった。その返答を聞いて満足し、笑顔になった私を衛輔くんは不思議そうに見つめる。

「なんでそんな笑うんだよ」
「私そんな笑ってる?」
「笑ってる」
「んー⋯⋯その事考えてたときに、これ衛輔くんに言ったらこんな風に返されるかなって予想していたのとばっちり合ってたからなんかちょっと嬉しくって」

 ペリメニを食べていた衛輔くんの手が止まる。困ったように笑う衛輔くんは「お見通しだな」と少しだけ茶化すような言い方をした。「お見通しですよ」と返せば、今度は衛輔くんが満足そうに口角を上げたのだった。

(20.12.04)