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 寒いから、という理由をつけて肩を寄せ合うように歩く。目的もなくただぶらぶらと。知った道を気まぐれに。衛輔くんに包まれるように握られた私の右手はいつの間にか衛輔くんのブルゾンのポケットに入っていて、秘密を守るみたいにその中でひっそりと握り合っていた。

「星、綺麗」
「明日は晴れだけど明後日から雨か雪なんだよな、確か」
「雨よりは雪のほうがいいかなぁ」
「コートの帽子被っときゃなんとかなるもんな」

 今日は例年の平均気温よりも温かいと天気予報では言っていたものの、ロシアの11月の夜の冷たさは私達の肌を容赦なく刺激する。覚悟はしていたけれど、この国の秋は瞬く間にロシアの冬将軍に攫われてしまった。
 それでも、たとえどれだけ寒かったとしてもこういう何気ない時間をたまらなく愛おしく思えるのはきっと、相手が衛輔くんだから。
 そうして肩を並べながらしばらく歩いた後、冬の色を濃くまとった夜の風が正面から吹き荒んだ。

「うう……やっぱりこの時間はずっと外にいるとすぐ寒くなっちゃうね」
「また風邪ひいても困るし帰るか」

 弱音をこぼすように言うと衛輔くんはこの散歩の終わりを示す。せっかく久しぶりに会えたからもう少し一緒にいたいけれど、でも衛輔くんの言うことはもっともだ。せめてもの抵抗だと言わんばかりに少しだけ歩調を緩めたこと、衛輔くんは気づいただろうか。
 繋がれた手が解けることもなく、ゆっくりと確実に私たちはスタート地点へと戻ってゆく。

「なあ。今日さ、入場の時に目ぇ合ったの気づいた?」
「やっぱりあの時こっち見てたの? 私の気のせいかなって思ってた」
「気のせいなわけないだろ。入場する前に名前たちの座ってる席ちゃんと確認もしたんだし」
「あはは。そうだったんだね」

 日中行われていた試合を頭の中で再生する。ギャラリーから見える衛輔くんの姿。真剣にボールを追う瞳。しなやかに動く身体。ボールの動きに機敏に反応し、絶対に落とさないという気迫。
 私の隣で優しく笑ってくれる衛輔くんも好きだけど、コートの中で絶えず闘志を燃やす衛輔くんも好き。

「衛輔くんの試合観るの1年ぶりだったけど相変わらず格好良かったね。もちろんいつでも格好良いんだけど、普段とは別の格好良さって言うか。だってどんなボールでも取っちゃうんだもん、本当に凄いよ。それ取れるの!? って何回思ったことか。衛輔くんのことずっと目で追って、ずっときゅんきゅんしてた」

 そういう言い方をしたのはわざとだ。緩やかさのある言葉に、沸々と生まれる気恥ずかしさを隠したかった。衛輔くんを見つめる度、真冬の凍てつく空で光る星みたいに私の心はキラキラするなんて言えるわけもない。
 
「あっでもあれだよ!? ずっと下心満載みたいな気持ちで見てたわけじゃないよ!? ちゃんと応援するぞって気持ちで見てたから! チーム全員頑張れって、負けるなって」

 でもちょっとミーハーな感想になってしまったかもしれないと慌てて言い加える私に衛輔くんは顔をそらしながら肩を震わせて笑う。
 これは本気で私の言葉を面白がっているときの反応だ。いや、確かに今のは自分でも何言ってるのって感じだったし仕方ないんだけど。

「衛輔くんって時々容赦なく笑うよね」
「フッ……ンン……悪い」
「……今のは笑ってくれてむしろ有難いけど」

 アパルトマンの前まで戻ってくると向かい合うように立ち止まった。ひとしきり笑って満足した衛輔くんはどこか楽しそう。
 会った時そうしたみたいに、繋がれていないほうの手で再び私の頬に触れる。

「それで"格好良かった衛輔くん"にご褒美はないわけ?」
「え?」
「名前からのご褒美があったら次の試合も頑張れそうなんだけど?」

 愛しさを伴ったような微笑み。緩く、締まりのない衛輔くんの表情が私の心を強く掴んだ。

「ご、ご褒美ってどんな?」
「んー……まあなんでも嬉しいけど、名前からキスとかしてくれたら結構幸せかも」

 ああなんだそれくらいなら、と思う。それくらいならお安い御用だと。
 踵を少しだけ上げて衛輔くんの顔に近づける自分の唇。一瞬だけ触れ合った唇は冷たくて、少しカサカサしていて、でもその柔らかさが私にも幸せを運んでくれる。
 伏し目がちに見つめ合う中で、衛輔くんは控えめに口を開く。

「……あのさ」
「うん?」
「名前の部屋、あがっていい?」

 言葉を聞いた瞬間、もとより断る術なんて無いと思ったけれど、表情を一変させて言う衛輔くんに言葉の全てを奪われてしまった。
 衝動的だったのか、それとも最初からそうするつもりだったのか。催眠術にかけられたみたいに私はただ小さく頷くしか出来ない。
 宵闇に私達を隠してしまえば、この夜の果てを知るのは静かに浮かぶ月だけなのだろう。
 
(21.11.27)