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 ロシアの暖房は、日本のそれとは大きく異なる。ほとんどの都市で「集中暖房」と呼ばれるシステムが導入されており、家の中に張り巡らされたパイプへ熱湯が通され、室内全体を温めるのだ。地区ごとにお湯を作るための施設があって、そこから各建物へと供給されるのである。時にはパイプに触れない程熱いお湯が届くから半袖で過ごす日もある。12月になって外は寒さも増してきたけれど、室内では意外と快適だ。
 そんな部屋の窓から見える、外を舞う粉雪。綿のように丸々としていて、窓枠に落ちたそれは既に積もっていた雪の一部になる。
 衛輔くんがもう少しでやってくる。心を弾ませながら到着を今か今かと待っていると、連絡が届いた。

『もう着く! 外すげぇ寒い』
『温かい飲み物用意して待ってるね』

 衛輔くんの耳たぶ。鼻先。頬。寒さで真っ赤になっていないかな。私ばかりが部屋の中で暖かさを堪能しているなんて、少し申し訳ない。部屋に張り巡らされたパイプを見つめながら、寒さに打ちひしがれているかもしれない衛輔くんの事を思った。
 ケトルでお湯を沸かし紅茶とジャムを用意していると、インターホンが鳴る。衛輔くんがやってきたのだろう。玄関まで迎えに行くと、想像していた通り頬を赤く染めた衛輔くんが立っていた。

「わ、衛輔くん寒そう」
「部屋ん中、暖かくて最高」
「今、紅茶出すね。座って暖まってて」

 慣れた様子でソファに座った衛輔くんからコートを預かり、ハンガーに掛ける。
 そのままキッチンに立ち、ロシア紅茶を作った。紅茶の中にジャムが沈んでいる、ロシア独特の紅茶。甘くて、ほんのりと果実の香りがして、私は寒くなると紅茶にジャムを入れたくなる体質になってしまった。

「あれ、この前買ったやつ?」
「ああ、うん。そう。ちょっとだけクリスマスっぽくなったと思わない?」
「いいじゃん。買って良かったな」

 私からマグカップを受け取った衛輔くんは、木棚に置いたアドベントカレンダーと小さなクリスマスのリースへ視線を向けた。
 家中を飾ったり、大きなもみの木を設置するスペースはないけれど、部屋の中が一気にクリスマスの色になった気がして自分でもお気に入りだった。衛輔くんと一緒に買い物へ行ったとき購入したものだから余計かもしれない。

「あ、そうだ。映画観るようにポップコーン買ってきた。名前、どっちがいい? 塩とキャラメル」
「どっちも捨てがたいな〜」
「じゃあ半分こにするか」
「やった」

 今日、衛輔くんがうちへ遊びに来たのは一緒に映画を見るためだった。私が加入しているサブスクで先週から配信が開始されたもの。オリジナル映画だけど、前々から気になっていたので私も一緒に観られるのをとても楽しみにしていた。
 衛輔くんが買ってきてくれたポップコーンをお皿に移して、再生ボタンを押す。最初のシーンが流れた瞬間、衛輔くんが言う。

「どうせならカーテン閉めて部屋の中暗くしねぇ? その方が映画っぽいじゃん」
「いいよ。でも32インチだから映画感はちょっと薄いかもしれないけど」
「こういうのは雰囲気だって」

 時刻は夕方。陽はまだ落ちたわけではないけれど、カーテンを閉めればそれなりに暗くなるだろう。観ているうちに太陽は完全に沈むから、きっとすぐに部屋はテレビの明かりだけになる。
 衛輔くんの提案に従ってカーテンを閉じれば、部屋の中は一気に明かりを失って暗くなった。

「あはは。これで即席の映画館だね」
「しかも二人きり……ってことで名前の指定席はここな」
「え?」

 衛輔くんは私の腕を掴み、自身の足の間に誘導する。私の背中と衛輔くんの胸板が触れ合って、2つの心臓がまるで寄り添うみたいに存在するのを感じた。後ろから伸びてきた腕がテレビのリモコンを操作し終えると、ゆるく、私のお腹に2本の腕がまわる。
 衛輔くん、最後までこの体勢で観続けるつもりなのだろうか。

「……観にくくない? これ」
「俺は結構良い座席だと思うけど。本当の映画館じゃこうやって観ること無理だし。辛かったらもっと俺に体重預けていいけど」

 確かに本物の映画館では無理だけど、でもそういう事ではないんだよな。嫌ではないけど、映画の内容が入ってこない気がする。
 どうしたものかと思いながら、テレビの明かりに照らされる衛輔くんを見上げる。ところどころに落ちた影が衛輔くんをいつもより大人にしていた。

「ん?」
「……なんでもない」

 視界に衛輔くんは映らないのに、背中から伝わる体温がこんなにも存在を主張してくるなんて。
 キャラメルポップコーンの香りが漂う室内。くすぐったい感情のせいで、きっと私はそれを口に運ぶことすら出来ないのだろうと思いながら、テレビへと目線を向けるのだった。

(21.12.20)