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「あ〜染み渡る……」

 紙カップに入ったホットチョコレートを口に入れると、すぐに芳醇なカカオの香りが鼻から抜ける。
 心ゆくまでスケートを堪能した私は、出口付近で売られていたホットチョコレートを見つけて迷わず購入を決めた。カカオの甘い香りにつられた事を衛輔くんはわかっていただろう。所々に暖房器具が設置されているとは言え、年末の夜は冷え込む。運動後ということも相まって、チョコレートが喉を通過する度、その優しい甘さに心が落ち着いた。

「お茶飲んでる時の婆ちゃんみたいだな」
「だって甘くて美味しいし。衛輔くんいる?」
「じゃあ一口だけ」

 まだ温かいホットチョコレートを受け取って、衛輔くんは紙コップを傾ける。

「美味しい?」
「甘い」

 もしかしたら衛輔くんには甘すぎたかもしれない。ほとんど中身が減っていないのを確認して、残りを飲み干す。
 幾分か身体が温まった気はするけれど、この外気だ。またすぐに冷えることだろう。

「寒いからデパート入って買い物する?」
「そうするか」

 風邪を引かないようにと、隣接された百貨店を目指してクリスマスマーケットの中心から離れた。
 マーケット会場を少し外れた場所でも、イルミネーションは長く続いている。葉がすっかり綺麗に落ちて枝だけになった木に宿るヤドリギが、イルミネーションの光の中でぼんやりと浮かび上がっている。
 その名前とは対称的に深く鮮やかな緑色は、むしろ落葉樹へ生命力を与えているかのようだった。

「名前、ヤドリギの伝説知ってる?」
「ヤドリギの伝説?」

 私は首を傾げる。衛輔くんは立ち止まり、私の前に立った。

「ヤドリギの下にいる若い女性はキスを拒むことが出来ないってやつ」

 どこか楽しそうなその表情に、衛輔くんの言わんとすることを瞬時に理解した。慌てて辺りを見渡した私に、衛輔くんは一歩近づく。
 確かにここはそれほど人がいないし、明かりも比較的落ち着いているから見えにくいとは思う。けれど、誰にも見られないというわけではないのだ。

「でもここ外だし!」
「誰も見てないけど?」
「でも見られるかもしれない」
「じゃあその時は見せつければいいだろ」
「そういう問題だっけ!?」

 食い下がる衛輔くんと戸惑う私。嫌じゃなくて恥ずかしいだけ。でも衛輔くんはそんな私をも楽しんでいるのだと思う。
 手袋を外し、私の頬に触れる。冷えた肌に衛輔くんの温かい指が触れるだけで、そこから私と言う存在が溶けてしまいそうだった。

「you know you love me?」

 流暢な英語で衛輔くんが言う。日本語ではなく、英語で言うあたりが狡い。とても軽やかに問うているのに言葉は深い。

「そんな風に言われると拒めない……」
「だったら、ほら。な?」
「……衛輔くん狡い」
「今更だろ」

 悪戯に笑う顔。今、物事の全ては衛輔くんの手中にある。私が何を言葉にしたって、これから先の出来事は決まっているのだ。それならばいっそヤドリギの伝説のせいにして、身を任せてしまえば良い。
 そう思って、そっと瞼を下し、衛輔くんからのキスを受け入れた。いつもよりも冷たい唇が一瞬だけ触れて、離れてゆく。仄かに香ったのはカカオ。甘い。思わず言ってしまいそうになった。

「甘いな」

 言葉にしたのは衛輔くんだった。

「うん、甘い」

 それは、甘すぎるくらいに。
 満足した様子の衛輔くんは私の手を取って雪道を進む。積もったばかりの新雪がギュ、ギュと声をあげた。

「今時期だとスニーカーは履けないし、ペアウォッチで探してみるか? あ、マフラーとかも良くね?」
「マフラーも良いね。意外といろいろ候補あって迷うなぁ」
「だな。とりあえず寒いしさっさと百貨店入ろうぜ」

 横断歩道を渡り、暖を取ろうと入店する人の流れに沿って百貨店へ足を踏み入れる。温かい空気が冷たい肌を刺激した。クリスマスと新年を祝う飾りつけに、今年もあと僅かだということを痛感させられる。
 腕時計を買うか、マフラーを買うか。それとも全く違うものを買うか。衛輔くんが前向きに考えてくれている事は嬉しいけれど、本当は何でもよかった。私にとってはお揃いの物を持つという事が重要だったから。この年齢でそんな子供みたいな事を言って、衛輔くんは驚いたかもしれない。
 けれど、私は来年の夏に帰国する。そうしたら衛輔くんとは簡単には会えなくなってしまう。だから、同じものを持っていられたら嬉しいなと思ったのだ。ふとした時、目に入って優しい気持ちになれるような、そんなものを。

「そう言えば、今年はまだ言ってなかったよね」
「ん?」
「メリークリスマス、衛輔くん」
「ああ、そっか。そうだな。メリークリスマス」

 世界のクリスマスが25日でも、ロシアのクリスマスが7日でも、私にとってのクリスマスは今日だ。来年は一緒にこの光景を見ることは出来ないけれど、気持ちだけは同じように伝えたいと思う。
 どこにいても、時差があっても、私の心に積もる想いは、いつまでも溶けることはないのだから。

(21.12.23)