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 4日前に買った腕時計を着けて、じっと見つめてみた。私が希望した衛輔くんと色違いの、つまり、ペアウォッチ。ちなみに去年衛輔くんからもらったピアスも装着している。

「それ、新しい時計?」

 いつの間にかレストルームから戻ってきていたソーニャが言う。ハッと意識を取り戻して緩く笑った。

「うん。この前、衛輔くんと一緒に買ったんだ。お揃いで」
「へえ! おしゃれ。似合ってる」

 大晦日。いつもより賑わう街中で私は衛輔くんを待っていた。たまたま近くにいるからとカフェまで来てくれたソーニャは、年末の買い物戦線から逃げてきたらしい。

「モリスケ、そろそろ来るんでしょ?」
「うん。もう着くって」
「じゃあモリスケの顔見てから戻ろうかな。ママの手伝いもあるし」

 去年、ソーニャの家で年越しした時のことを思い出す。皆で盛り上がったり、料理に舌鼓を打ったり、ロシアの年越しを体験したり。
 去年は去年で楽しかったし、今年もソーニャからの誘いはあったけれど、今回は衛輔くんと二人で過ごす予定だった。

「あ、あれじゃない?」
「だね。こっち気付いたみたい」

 窓際に座っている私達に気が付いた衛輔くんが大きく手を振る。寒空の下、小走りでカフェに入ってきた衛輔くんの頬は赤く染まっていた。

「ハイ、モリスケ。久しぶり」
「お、久しぶりだな。元気してたか?」
「まあね。モリスケも元気そうでよかった。ま、ナマエから時々話は聞いてるんだけど」
「話?」
「惚気話」
「はは、まじか」
「そんな惚気けてないよ!? た、多分……」
「俺は大歓迎だけど」
「ふたりとも相変わらずでよかった。モリスケにも会えたし、そろそろ行くかな。また来年ね」
「あ、うん。またねソーニャ」

 ソーニャがカフェから出ていくのを見届けて、衛輔くんが言う。

「何飲んでんの」
「カフェラテ。衛輔くんも飲む?」
「じゃあ一口」

 一瞬だけ触れ合った指先。温くなったカフェラテが衛輔くんの喉を通っていく。長居する気はないのか、衛輔くんがマフラーを外す様子はない。
 中身もほとんど残っていないしとカフェラテを飲み干し、私もコートを着た。マフラーをしっかり巻きつけているのに、外へ出た瞬間、外気の冷たさで一気に身体が冷える。

「うう……今日も寒いね」
「温かいもん食おうぜ」
「賛成! 衛輔くん、お酒飲む?」
「飲むとしても少しだな」

 今年、衛輔くんと二人きりで年を越すのは、エカチェリンブルクにいられる間に出来るだけ多くの思い出を重ねたいという私のわがままを優先してくれた結果だった。
 来年の4月になれば衛輔くんは日本に帰国するだろうし、そうなると8月までは会えなくなる。そして9月に私が日本に帰国するから、衛輔くんと一緒にいられる時間は思っているよりも少ないのだ。

「買い物は昨日済ませてたんだ。足りないものあったら途中スーパー寄って帰ろうかなと思ったんだけど」

 多分、ないはず。冷蔵庫がいっぱいになるくらい食材を買ったし、料理の下処理も昨日の夜に済ませたし。だから特に買わなくちゃいけないものはないはずだ。
 不意に、衛輔くんの視線を感じる。柔らかい眼差し。何か思うところがあるような。

「衛輔くんどうかした? あ、買いたいものあった?」
「ん? いや、なんでもない」
「え〜気になる。わかった! 食べたいお菓子あった、とか?」
「俺は子供か」
「あはは、違った。ごめんごめん」
「そうじゃなくてさ」

 指先が絡め取られる。ポケットに入っていた衛輔くんの指が、私の冷たい指と交差して境目が無くなる。思考を奪うような温かさ。柔らかい眼差しはそのまま、声色もまた、とても優しかった。

「帰る場所が同じなのも悪くないなって思ってさ」

 衛輔くんの言葉を頭の中で反芻する。
 あまり意識していなかったけれど、確かにいつもは家まで送ってくれたり、家まで来てくれるという意識が強かった。一緒に帰る、という認識は私にとっても新鮮で、気がついてしまえばどこか歯痒ささえ感じてしまう。
 帰る場所が同じ。
 いつか、それが当たり前になる未来がやってくるかもしれない。想像するだけでふわりと心が軽くなる。

「じゃあ衛輔くんは部屋に着いても、おじゃましますじゃなくてただいまって言うんだ?」
「そっか。そうなるな」

 手を繋ぎ、同じ家を目指す。それは紛れもなく幸せってやつで、果てなく続いて欲しいと願う時間。
 少し先の未来で私達は物理的に離れ離れになるけれど、それよりももっと先の未来で今と同じように過ごせたら良いなと、私は密かに思っていた。

(22.1.18)