52
目を覚ました時、部屋を照らすのは間接照明とテレビの明かりだけだった。ボリュームの下げられたテレビから聞こえてきたのは英語。
ぼんやりとした明かりに照らされた衛輔くんの横顔を見つめながら、眠ってしまったことを悟る。時計の針は午前1時を示している。寝ている間に年が明けたらしい。
「……もりすけくん」
「あ、ああ。起きた?」
「ごめん、寝ちゃってたね。年越しまでには起きるつもりだったんだけどな」
ソファで縮こまるように眠っていたせいか、関節が少しだけ痛かった。ぐっと身体を伸ばしたけれど、起き上がるのは億劫で、結局、横になったまま。お風呂に入った後に寝落ちしたのが唯一の幸いだと思いながらあくびをもらした。
衛輔くんの穏やかな眼差し。顔がそっと近づいてきて、額にキスを落とす。静かで優しいキス。余韻が広がって消えて、残ったのは角のない感情。
「ふふ、くすぐったい」
「唇のほうが良かった?」
「これもこれで好きだけど」
衛輔くんが私の頭を撫でる。時折、手で掬って、指を通して。まるで猫みたいに私の髪の毛で遊んでいる。
決して乱暴ではなく、ただただ慈しみ込められた手つきに抗いようのない微睡みが私を抱きしめる。
「衛輔くん、暇なの?」
「暇っつーか、せっかく起きたんだから構いたくなるだろ」
眠ってしまった私を起こさないよう、テレビのボリュームを下げて間接照明だけにしてくれたのに、私が起きたらそんな風に言うなんてやっぱり衛輔くんは狡いな。可愛いし、こっちも構ってほしいって思っちゃう。
「じゃあまだ、寝ない?」
「あんまり眠たくないんだよな。名前、寝るならベッドで寝ろよ。運ぶか?」
沈みかけていた意識はゆっくりと浮上する。首を左右に振り、手を伸ばして衛輔くんを求めた。
「ねえ」
「ん?」
「やっぱりして。キス。唇に」
言えば、触れるだけのキスをされる。耳に残ったリップ音が私の心を揺らす。
「衛輔くん、こっち来て。もっとして」
わざとらしく強請ってみると、のろりとソファの上で覆いかぶさるように、衛輔くんが私の上を位置取った。お世辞にも広いと言えないソファで、この体勢。私は身動きも取れず衛輔くんを見上げるしか出来ない。
影が落ちる。衛輔くんの表情はほとんどわからないけれど、今はそれで良いと思った。唇に落ちる柔らかい熱。食むようなキスに、もぞもぞと身体を動かしてどうにか衛輔くんの首に腕を回す。
「……名前さ」
「なに?」
「もしかして誘ってる?」
「ん? んー……」
こういう時に自分の顔は見られたくないと思うのに、今、猛烈に衛輔くんの表情が知りたい。瞳に宿る色を、唇の動きを、肌を、もっと縁取るように知りたい。
「だとしたら、衛輔くん、嫌?」
「……嫌、じゃねえ、けど」
「けど?」
「すげぇ嬉しいなって」
「嬉しい?」
「名前からって今までなかっただろ。だから、まあ、俄然したくなった」
薄明りの中でも、衛輔くんがゆるく笑ったのがわかった。
衛輔くんは多分、触れ合うのが好きなタイプなんだと思う。よく手を繋いでくれるし、スキンシップも少ないわけではない。と言うか多分「愛でる」のが好きなのだ。だから私はいつも与えられる側にいるような錯覚を起こすけれど、私たちは対等なのだから、私からも宿る想いを表現したい。言葉、態度、体を使って。
そう思ったのは、夜が優しい色を帯びていたからだろうか。それとも衛輔くんの指先が温かかったからだろうか。
「じゃあお誘いに乗ってくれる?」
「当たり前」
「明日の予定もないし?」
「そーゆーこと」
衛輔くんは気付いているだろうか。私の独占欲に。私だけに見せてくれる笑顔も、私だけに言ってくれる言葉も、これからもずっと独り占めしたいと思っていること。
これまで過ごした幾度かの夜を思い出す。衛輔くんの手のひらが、Tシャツの裾から入ってきて私の脇腹を撫でた。私たちは、あと何度こんな風に夜を越えるのだろうか。願わくはずっと。飽きるまでずっと。
「名前」
「うん?」
「今年もよろしくな」
再びキスが落ちてくる。艶めく吐息の中で触れ合う舌先。それは温く、熱い。
世界のどこかでは今まさに新年を迎えようとしている場所があって、エカチェリンブルクのどこかでは新年を迎えた賑わいを見せている場所がある。
だけど私達はとても静かに、世界と乖離したように、新たな年を迎えた。しかし、目には見えない溢れんばかりの熱情が、確かにそこにある。
「今年もよろしくね」
鼻先と鼻先がぶつかってキスをする。それは私にとって、悪くはない1年の始まり方だった。
(22.1.25)