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「サンクトペテルブルクって1914年まではロシアの首都だったんだって。日本で言う京都みたいな感じかな?」
「へえ。だから世界遺産も多いのか」

 到着後、ホテルに荷物を預けて繰り出した市内。太陽は姿を見せ、陽光が街中に差し込んでいるというのに地面の色は未だ見えない。
 積もった雪の上を歩くと、小さく聞こえるのはギュッと軋んだような雪の声。バルト海に面するネヴァ川河口に位置することもあって、実際に感じる空気は天気予報に載った気温よりも冷たい気がした。

「エカチェリンブルクと似てる部分もあるけど、よくよく見ると違うところもたくさんあって楽しい」

 ロシアにおいてモスクワに次ぐ第二の都市がサンクトペテロブルクだ。街中に多くの運河や水路があり、北のベネツィアとも呼ばれている。
 国内ということもあってエカチェリンブルクと似た建築様式が多いけれど、ヨーロッパの文化が絶妙に融合した街並みは、知らない土地の知らない道を歩いているという事を強く実感させた。

「試合で来たこと何度かあるけどしっかり観光したことなかったからこうして名前と一緒に旅行として来られて良かった」

 息は白く舞って、吸い込んだ空気は口の中を一気に冷やす。それでも冬の穏やかな晴れ間が心を柔らかくしてくれる。肺に取り込んだひんやりとした空気。言葉もなく差し出された手をとると、衛輔くんのコートのポケットの中で体温を共有するかのように握られた。

「サンクトペテルブルクも寒いもんね」
「名前の手、温かいな」
「ずっとポケットに手入れてたからかな。衛輔くんは私より冷たい」
「だろ? 温めて」
「仕方ない、私の体温を分けてあげよう」

 そう言ってほんの出来心から指先を小さく動かすと「くすぐったい」と衛輔くんの手のひらに少し力が加わった。そして今度は衛輔くんの指先が動いて私を擽る。わざとらしく、からかうように。

「くすぐったいです!」
「さっきのお返しだからな」

 そう言って笑みを見せる衛輔くんに、結局私もまた笑顔になる。
 ポケットの中で繋がれた手。お揃いの腕時計。同じ時間、同じ場所に身を置いて同じものを共有できる。そういう些細なものの集まりがどれほど幸福を運ぶのか、私は衛輔くんと出会ったからこそ身体全部で理解できるようになった気がする。
 なんて、そんな事を考えているなんて衛輔くんに知られたらきっと笑われちゃうだろうから私はおとなしく話題を切り替えた。

「他の国からの観光客も多いから、エカチェリンブルクとはまた違った活気があるね」

 体温を分け与え合いながら歩くサンクトペテルブルクの街。観光名所が近くに点在するということもあって数多くのスーベニアショップが並んでいる。観光客を出迎えるように置かれたマトリョーシカの看板は見ていると次第に愛着がわいて、つい店内を覗きたくなってしまうほど。

「バルト三国も北欧も近いし、旅客機の離発着の数だって多いだろうからな」
「私達もアジアからの観光客だって思われてるのかも。それはそれで間違ってはないけど」
「せっかくなんだから観光客らしく楽しもうぜ。スーベニアショップだって普段は入らないし、観光名所回ることだってなかなかないだろ」
「そうだね」

 カザン聖堂を背に川沿いを行くと、視線の先に血の上の救世主教会が目に入った。カラフルに彩られたドームが冬の澄んだ空気の中でその色を際立たせている。
 正教会の教会の建築にもずいぶん見慣れてきたのに今でもその外観を目に入れるとおもちゃ箱みたいだ、と思ってしまう時がある。他国では見られない色使いが感性を刺激してくれる。

「ロシア正教、詳しいわけじゃないんだけどあの建築様式って可愛いから結構好き」
「おもちゃの兵隊とか出てきそうじゃねぇ?」
「あ、わかるかも」
「この時間だけど、並んでるよな」
「チケット、事前購入しておいたよ」
「まじ? 助かる。サンキュ」

 ホテルの予約をしてくれたのは衛輔くんなのだからこれくらいお安いご用だ。
 刹那、隙間を抜けるように冷たい風が吹き荒れる。

「風冷た!」
「風邪引くなよ、名前」
「衛輔くんもだよ」

 寒さにかこつけて少し距離を縮める。結局こうやって触れ合い笑い合うのだから、どれだけ寒くても私は冬が好きだと思うのだろう。
 ううん、冬だけじゃない。春も夏も秋も、衛輔くんがいると私の世界は自分だけで見る世界よりも広がって、より鮮やかになる。そしてそれがゆっくりと蓄積していって私の新しい価値観を作り上げてくれる。
 それを愛と呼べるのなら、さらに幸福だ。

(22.08.05)