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 疲労が蓄積されているのを感じながら、ベッドへ身を投げた。沈む身体をふかふかの布団が抱きしめてくれる。
 衛輔くんが予約してくれたのは至って普通のビジネスホテルだったけれど過不足もなく、暖房の効いた室内は冷えた身体を一気に温めた。ダブルサイズのこのベッドもふたりで寝るにはちょうどいいサイズだ。

「名前、大丈夫か?」
「久しぶりにこんなに歩いたから脚が……」
「最近筋トレサボってたもんな?」
「うう……ばれてる……」

 ベッド際に腰を下ろした衛輔くんの指先が私の髪の毛を掬って、意識の彼方にあった眠気が顔を出す。
 筋トレをサボっていた言い訳を考えようにも衛輔くんに納得してもらえそうなものは思い浮かばない。

「こういう時ゆっくりお風呂入りたくなる」
「バスタブあるし溜めてきてやるよ。乾燥防止にもなるだろ」
「え、衛輔くん神……」
「はいはい」

 私の言葉を軽くあしらってバスルームに消えていく衛輔くんの背中を見つめた。
 目を閉じると瞼の裏に浮かぶのは今日一日の出来事。血の上の救世主教会は勿論のこと、エルミタージュ美術館に並ぶコレクションの美しさやペテルゴフの絢爛豪華な輝きが強く胸に焼き付いている。
 ホテルの予約は衛輔くんに任せてしまったけれど、きっと私が疲れることを見越して市内中心部にあるホテルを選んでくれたのだろう。
 はしゃぐ私を見つめる衛輔くんの瞳には確かに愛情が宿っていて、その視線の先に自分がいられる事が私は嬉しかった。

「名前、寝た?」
「んーん。まだ辛うじて起きてる」

 眠たい。眠ってしまいたい。もしこのまま眠ったら朝まで目が覚めないかもしれない。でも化粧も落としてないしお風呂にだって入ってない。だから私は必死に眠ることを我慢した。それになにより眠気に抗うのこの感覚が不思議と心地良かった。

「1時間くらいしたら起こしてやろうか?」
「もったいないから寝ない……」
「けど半分くらい寝てるだろ」

 戻ってきた衛輔くんは先ほどと同じようにベッドサイドに座り私の髪の毛に触れた。バスルームから聞こえるのは、蛇口から流れている勢いのある水の音。

「お風呂、ありがと」
「別にこれくらい気にしなくていいから」
「それだけじゃなくて、バスタブある部屋選んでくれたこととか」

 衛輔くんの指先が微かに動く。

「衛輔くんは私がこうなることを見越してた気がする」
「俺は超能力者かよ」
「えぇ、でも間違ってはないでしょ?」
「まあ俺はその気になれば名前のこと手のひらの上で転がせるからな」
「あはは。そうだった」

 風呂見てくる、と衛輔くんは再びバスルームへ消えた。
 疲労と共にやってくる安心感や快適さが気持ち良い。まだ完全に眠気は消え去ってないけど、いつまでもこんなだらしない姿を見せるわけにもいかない。
 大きく身体を伸ばして布団から起き上がるとバスルームへ向かい私の為に動いてくれている大好きな人の名前を呼んだ。

「衛輔くん」
「起きたな」
「うん、起きた」
「お湯、どう?」
「少し熱めに入れたから水入れて調整したら水量も温度もちょうど良くなると思う」
「そっか。じゃあお風呂入ろうかな」
「風呂ん中で寝るなよ」
「寝ないよ!」

 衛輔くんが笑って私の頭に軽く手を置く。小さい子にするとの似ている動作に、だけど私の心は揺れた。

「一緒に入る?」

 だからなのか、気がつけばそんなことを口走っていた。

「……は!?」
「そんなに驚くとは思わなかった」
「いや、いつも俺がそう言うと名前嫌がるだろ」
「嫌ってわけじゃないよ。恥ずかしい気持ちはあるけど……」
「なのに今日は違うって?」
「今日はなんか、一緒に入ってもいいかなって」

 自分で言ったくせに、まじまじと見つめられればいたたまれなくなる。さっきまでは感じなかった羞恥心を感じるようになって、私は衛輔くんから目をそらした。自分でも気づいてないだけで、まだ私ははしゃいでしまっているのかもしれない。

「や、でも一人で入るほうが楽だよね」

 そう言う私の腰に衛輔くんの腕がまわる。いやらしさはない。ただ、この状況をとことん楽しんでやろうという気持ちは窺えた。

「一緒に入ろうぜ。せっかくだし」

 口角があがり、そのまま額にキスを落とされる。
 サンクトペテルブルクの夜が更けてゆく。エカチェリンブルクにいる頃と同じように。だけど少しだけ形を変えて。

(22.8.10)