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それでも、忙しい日々はそれからしばらくしてちゃんと終わりを迎えた。
怪我を完治したレルーシュカは無事職場に復帰し、衛輔くんの所属するチーグルもまた順調に決勝ラウンドへ進み、ここ数年で最も良い成績を残すという結果となったのである。
「悪い、待たせたか?」
「ううん。ちょうど今来たところ。こういう待ち合わせひさしぶりだね」
「だな」
冬の名残が時折顔を覗かせる5月中旬の週末。週明け、衛輔くんは日本代表と合流するためにエカチェリンブルクを発つ。
衛輔くんが発つ前に泊りがけで一緒に過ごそうと、今日は互いに時間を作ってこうして朝から待ち合わせをしていた。
「それ新しい服だろ。初めて見る。似合ってる。可愛い」
「ありがとう、嬉しい。気付かれないかなと思った」
仕事帰りに一目ぼれした春服といつもよりも少し気合を入れたメイク。またしばらく会えない日々が続くけれど、衛輔くんが私を思い出してくれる時はとびきり可愛い私であってほしいと思うから、準備にも気合いが入ってしまった。すぐに気付いて褒めてくれたのが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。
「気付くって。俺、結構名前の服装見てるし」
「そうなの?」
「名前の部屋着が新しくなっても俺は気付ける。……いやさすがにこれは気持ち悪いな」
小さく笑いながら、二人揃ってなんとなく歩き始める。どこへ向かうでもないけれど、ゆっくりと街を堪能するように足は前へ進んだ。
雪が溶けた地面には石畳が続く。道路脇の花壇も、きっとこれからどんどん彩られてゆくだろう。
「来週はもう衛輔くんいないんだもんね。空港までお見送りしたかったな」
「朝便だから名前が仕事に間に合わないのも困るし、気持ちだけ受け取っておく」
「衛輔くんがこっちに戻ってくる時に空港まで迎えに行けそうなら行くよ」
「おう」
唯一惜しいと思うことを挙げるとすれば、今年もまた衛輔くんの誕生日を電話越しでしか祝えない事だろうか。一度くらいは直接顔を見ておめでとうと言いたいけれど、現状じゃそれがいつになるのかもわからない。もちろんその言葉を伝えられる事実だけで幸運だということは十分に理解はしているけれど。
だけど、そうか。気が付けばもう一年が経とうとしているんだ。衛輔くんが私に気持ちを伝えてくれてから一年。高鳴る心臓。走る鼓動。目を背けたくなるような恥ずかしさ。自分ではコントロールできない感情。ずいぶんといろんな感情が濃縮された一年だった。正式にお付き合いをするようになってからはまだ一年も経っていないけれど、衛輔くんとはやっぱりずっと長い事こういう関係だったような錯覚を覚える。
「そう言えば聞いて」
「うん?」
「今朝、トーストの上に目玉焼き乗せようと思って卵割ったんだけどね、なんとその卵が双子だったの! あー写真撮っておけばよかったな。衛輔くんにも見せたかった」
取り留めもない話題。だけど衛輔くんはちゃんと聞いてくれる。でも、こういうことの積み重ねが私達を私達たらしめているのかもしれない。そしてそれはこれから先も長く続いてゆくのだろう。
「喜んでる名前の顔はすぐ思い浮かんだ」
その言葉と同時に手を握られる。春先の清々しい陽気。イセチ川に架かる橋を歩くと、頬を撫でる心地よい風が吹く。
「いくつかゆで卵にしたから明日の朝、衛輔くんが食べる卵は双子かも。半分に切ったとき数字の8みたいな形になったらなんだか可愛いよね」
「そうだな」
衛輔くんの柔らかい視線。
私達は家族ではない。血の繋がりもないし、育ってきた環境も違う。でも衛輔くんが私を好きという事実は、それ故に私を強くする。
「今日のお昼は外で食べるとして、夜ご飯はどうしようか? 外? それとも私が作る?」
「名前が作って。名前の作った飯が食いたい」
「じゃあ腕によりをかけて作るね」
「期待してる」
「野菜炒め、いる?」
「いる」
「じゃあ帰る前にスーパー寄ってから帰ろう」
歩くたびに揺れるスカートの裾がくるぶしをくすぐる。朝、昼、夜、そしてまた朝。決して永遠ではない幸せがいつもすぐ近くにある。だから私は願うのだ。延々と続いていきますようにと。
(22.8.24)