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 宗教的観点から、ロシアにおいてハロウィンはそれほど強い意味を持っているわけではない。それでもこの時期スーパーに並ぶ半分ほどのお菓子はハロウィンのパッケージになっているし、カフェには申し訳程度だけれど小さなジャック・オ・ランタンがレジ横で待ち伏せしている。
 先日ソーニャから受け取った紙袋の中にはハロウィン用の飾り付けが入っていて、このお店も細やかではあるけれどハロウィンの雰囲気を醸し出していた。

「お。ハロウィン仕様になってんじゃん」

 衛輔くんがお店に来たのはハロウィン前日、気を抜けば眠りに落ちてしまいそうなくらい穏やかな小春日和のことだった。
 お店のドアを開けてすぐに目に入る、高さ1メートル程の木製のボックスにはお化けの形を模したランタンが置かれている。その置物を見た衛輔くんは楽しそうにそう言って、けれど脇目も振らず、カウンターに立つ私の目の前にやってきた。

「衛輔くん、ダブロパジャラヴァーティ」

 衛輔くんが今日この日に来るということは先日、衛輔くん自身から連絡をもらっていた。驚きもせずいつものように、ちょうど他のお客さんがいないタイミングで良かったと安堵しながらロシア語で「ようこそ」と言えば「プリヴェット」と片手を上げて衛輔くんはロシア語を返した。
 本当は窓から衛輔くんの姿が見えた時点で手を振ろうかと思ったけれど、子供みたいだとなんとなく気恥ずかしくなって、途中まで上げられた腕が振られることもないまま下へと戻っていったことはレルーシュカしか知らない。

「飾り付けした?」
「うん、少し。やりすぎちゃうと良くないし」

 日本と違って宗教はとてもナイーブでセンシティブな問題だ。若い人たちはハロウィンを受容している傾向にあるけれど、年配の方は忌み嫌う人も多い。バーブシカは柔軟で先進的な考えを好むから、うちではこうやって少しばかりの飾り付けをしているけれど、それでもケースに並ぶのはいつもの定番のお菓子ばかりである。

「名前ならパンプキンタルトとか作りそうって思ってたのにないんだな」
「作ろうと思ったの。作りたかったの! でもこっちのカボチャって日本のものと違うから全然うまくいかなかったんだよね。だから諦めてメドヴィクとプラガとシャルロートカ作ったんだけど衛輔くんどれか持って帰る? 別に私が作ったのじゃなくても良いんだけどね」
「まじで?」
「うん。好きなのどうぞ」
「じゃあシャルロートカかな」
「いいの? ありがとう」
「いやそれ俺のセリフじゃん?」

 そんなことないよ。それは言葉にならなかった。
 地元のお客さんで私の作ったシャルロートカを美味しいと言う人は正直少ない。もちろん中には私の作るシャルロートカがちょうど良いよと言ってくれるお客さんもいる。日本人にとっては甘すぎるケーキが並ぶ中でこれくらいの程よい甘みのケーキがあっても私は良いんじゃないかと思っているから、多分いつまでたっても大多数の人が好む味付けにはならないんだろう。
 でもいい。衛輔くんが美味しいって、これが好きだって言ってくれたら別にそれだけでいい。私は焼き上がりを待ちながらいつもそんなことを思っているから衛輔くんかシャルロートカと言ってくれたのは嬉しかった。

「あ、これチケット」
「え?」

 思い出したように衛輔くんがカウンター越しに細長い紙を渡す。ロシア語で書かれたそれは読み解くのに少しだけ時間がかかったけれど、11月の上旬にエカチェリンブルクで行われるバレーボールの試合の観戦チケットのようだった。

「あ、衛輔くんが出る試合?」
「そ。ソーニャに名前と行くから会うなら渡してって言われてたんだけど」
「ん〜、聞いてないなあ」
「まじ? ソーニャが名前と試合見る行きたいから俺かキーラのチケット余ってたらちょうだいって」
「この前ソーニャがこの日は絶対に予定あけておいてって言ってたから多分このことだったんだと思う」
「来れそう?」
「うん。行くよ。せっかくエカチェリンブルクで衛輔くんの試合あるんだもん。這ってでも行く」
 
 冗談めいてそう言えば衛輔くんは優しい笑みを返してくれた。包み込むような笑顔。それはいつも私に安心感を与えてくれる。

「出来るだけ普通に来てくんないと心配で気が気じゃなくなるだろ」

 箱に包んだシャルロートカを受け取りながら衛輔くんはそう言って、お店を出ていく手前もう一度お化けのランタンを見やった。

「じゃあまたな」
「うん、また」

 互いに手を振って、今度はちゃんと、窓の外の衛輔くんが見えなくなるまで私は手を振り続けた。

「ナマエはモリスケが来ると花が咲いたような顔をするよね」

 私が手を振り終わったのを見届けたレルーシュカが言う。衛輔くんの帰った店内は少し寂しさが孕んだ気がしたけれど、その正体を私は知らないままだ。

「だって友達が来てくれたら嬉しいし」
「友達? ナマエにとってモリスケはもっと特別な人だと思ってた」
「特別だよ。日本人の友達は衛輔くんだけし、やっぱりちょっと違うよね」

 きっと衛輔くんだってそんな風に私のことを特別としてくれていると思う。多分、きっと。ううん。そうであってほしい。顔見知り、知り合い、友達、親友、恋人。別に名前は何でもいい。なくてもいい。ただ一緒にいたら楽しい。それだけ。それだけが私と衛輔くんを繋ぐ理由。

(20.12.14)

※ダブローパジャーラヴィチ……ようこそ。welcome.
※プリヴェット……やあ。Hi.
※メドヴィク……蜂蜜のケーキ
※プラガ……ザッハトルテのようなケーキ