08


 目覚ましが鳴った瞬間、私は即座にベッドから起き上がった。いつもはまだ寝ていたいと布団の中で眠気と格闘するけれど、今日はそんなことは一切ない。むしろ冴え渡る頭に、どうしていつもこうならないのかと思うくらいだ。
 
「あっ。ここ、ここ! ナマエ!」

 エカチェリンブルクでおこなわれる、チーグルエカチェリンブルクのホーム試合。会場に行けば、私を見つけたソーニャが大きく手を振るのが見えた。

「ごめんごめん、遅くなっちゃった」
「大丈夫。むしろちょうど良いタイミングだよ」

 まばらに埋まった席。ソーニャの隣に腰をおろして、応援用の小さな旗を受け取る。スポーツを生で観戦するようになったのはロシアに来てからで、試合前のこの高揚感を今まで知らずに過ごしていたのが時々悔しくもなる。

「チーグルエカチェリンブルクが圧勝するように一生懸命応援しようね、ナマエ!」
「そうだね、ソーニャ」

 私が衛輔くんを応援できるのはエカチェリンブルクで試合がある時だけだ。海外に頻繁に行けるほど貯金があるわけでもないし、近隣の都市ならば行けなくはないけれど仕事や移動の事を考えるとどうしても腰が重たくなってしまう。
 もちろん大きな試合とか、大事な試合をもっと頻繁に応援しに行ければ良いんだけどなかなかやはり、今の私にはそれが難しい。だからこそ、こうやって地元でやってくれる試合には全力で応援したかった。私は衛輔くんのバレーを応援する事くらいしかできないけど、衛輔くんはそれを嬉しいと言ってくれるし。

「バレーしてる時のモリスケかっこいいよね」
「うん。いつもは見られない表情とかかっこいいところとかたくさんあるよね」
「まあ兄さんもかっこいいけど」
「あはは。そうだね、キーラもめちゃくちゃかっこいい」

 選手が入場し、歓声が湧き上がる。ホームチームから順番に選手が紹介されていき、キーラに続いて衛輔くんが入場した。もちろん、衛輔くん側から私が見えるわけもない。それでも私は、私の大切な人が、同じ日本人が、いつも私の作ったシャルロートカを笑顔で食べてくれる人が、こうやって世界を相手に戦っているんだと思うと自分のことのように誇らしくなるし、嬉しかった。

(衛輔くん! 見てるよ! 応援してるよ!)

 届かない言葉は心の中で念じるしかない。テレパシーなんてものあるわけないけれど、心の中で念じるほうが衛輔くんには届くような気がした。


*   *   *


 チーグルエカチェリンブルクが勝利を収めた瞬間、会場内は歓声で満たされた。私はソーニャと抱き合うように喜んで、心の中で何度も衛輔くんにハイタッチをするイメージを膨らませる。

「ホーム戦だから勝つとテンションあがる」
「ね、キーラも衛輔くんも他の選手も凄かった」
「いつも凄いけど、モリスケのレシーブ今日は特に冴えてたね」
「調子良かったんだね」
「ナマエが観てきてるんだし、調子も上がるか」
「いやいや私にそこまでのパワーはないよ」

 会場から出て、寒空の下を歩きながらヴィネラストリートを目指した。

「モリスケにおめでとうって言わないの?」
「あとで連絡するかな。キーラにも。キーラ最近忙しいのかあんまりお店来てくれないんだよね」
「彼女できたからじゃない?」
「えっそうなの?」
「確か先月の話だった気がする」

 トラムに乗り揺られながら、街を見つめる。11月も半ばを過ぎ、ロシアの冬はより一層厳しさを増そうとしていた。ジンジャーブレッドマンが時々ショーウィンドウの中からこちらを見つめているのに気がついて、クリスマスの訪れを教えてくれる。季節が移ろうのは、本当にあっという間だと思う。


*   *   *


『おつかれ。今日試合見てくれてた?』

 衛輔くんから連絡が来たのは夜の事だった。シャワーを浴びてパジャマに着替え、髪の毛を乾かし終わった丁度よいタイミング。もっと早いうちに私から送れば良かったなと思いながらも送るつもりだった文章を打つ。

『おつかれさま。観てたよ、めちゃくちゃ楽しかった! 勝利おめでとう!』
『サンキュ。ちらっと名前の姿探したけど見つけられなかった』
『上の端のほうだったからかなあ。私はしっかりじっくり衛輔くんのこと見つめてたからね。衛輔くん今日調子良かったねってソーニャと話してたんだ』
『わかった? 朝から今日はめっちゃ調子良いなって感じで』
『第2セットの終盤の、向こうのエースがバックアタック打ち切ったときに衛輔くんAパスで返したのほんっっっとにかっこよかった』
『なんか照れるな』

 夜が深くなっていくのはわかっていた。明日の朝は早い。そろそろ寝る準備をしないといけないとわかっていても、このやり取りを終わらせるための言葉を私は持ち合わせていない。衛輔くんに話したいことがありすぎるのだ。
 私が眠りに落ちてしまうその瞬間、衛輔くんはきっとエカチェリンブルクの空の下で微笑んでくれているのだろう。

(21.01.03)