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「じゃあ、ニース。エイトール。おじゃましました。料理すっごく美味しかった本当にありがと」
「気をつけて帰れよ、ふたりとも」
「ショーヨー、ナマエのことくれぐれもよろしくね」
「はい! 責任持って寮まで送ります!」

 いつものやり取りを行って、私と翔陽はふたりの家を後にした。蒸し暑い夜の空気がじんわりとまとわりつく。肌の表面がしっとりと汗をかいて、ここは一年中夏だけれどより暑さが際立っているのがわかった。

「今日も暑いね」
「俺、部屋クーラー入れっぱなしで寝てる」
「わかる。クーラーないと眠れない。知ってる? クーラーってこまめに消すよりつけっぱなしのほうが電気代安くなるんだって」
「まじで!? 俺ちゃんと消してた⋯⋯電気代⋯⋯!」
「あ、でも日本にいたときに知ったからリオデジャネイロでもそうなのかわかんないや。私つけっぱなしだから来月の電気代比べてみよ。そしたらわかる!」
「おお、確かに!」

 翔陽は今日も歩幅を合わせてくれる。私が話をすればこっちに顔を向けてくれるし、遮ったりもしない。暑いな。だけど同時に心地よい。まとわりつく空気すら私に何かを残してくれているようでこの感覚はきっとずっと忘れないんだろう。
 
「日本にいた時は冬は寒くて無理だから早く夏になってって思ってたのに、ブラジルにいると冬の感覚ちょっと忘れそうになる」
「わかる! コート着てマフラー巻いて、あんなに防寒してたのにこっちじゃ毎日タンクトップでも暑いくらいだし」
「暑さ耐性は鍛えられたね」
「暑さどっからでもかかってこい!」
「あはは。その分日本に戻ったら冬覚悟しないと」
「俺宮城出身だから寒さには強いつもりでいたのに危ない気がする」

 目と鼻の先に地下鉄乗り場が見える。大通りに面したこの道はお店もまだ開いているから賑わいを見せていた。
 多分、ずっと一緒にいられる。話をしようと思えば朝まで楽しく過ごせる。私にとって翔陽はそういう人で、翔陽にとって私がどんな人なのかはわからないけれど「ブラジルで出会った日本人」としてはそれなりに良い位置にいるんじゃないだろうか。
 私がここにいられる時間は限られているからこそ迷うことは惜しい。戸惑うことは勿体ない。今この瞬間この国でやれることは目一杯やる。それが私の出来る事で、しなくてはいないこと。それは翔陽への気持ちを募らせることではない。だけど、翔陽の太陽みたいな笑顔は私の心を温かく照らしてくれる。だからきっとこれからも募っていくんだろうな。翔陽の横顔を見て、試合を応援して、名前を呼ばれるたびに。季節が勝手に移ろうように、私の気持ちも私の決意に反して募っていくのだろう。どこまでも優しく、柔らかいままで。

「私ここからタクシー乗るね」
「えっ最後まで送んなくていーの?」
「うん。このアプリに登録されてるタクシーちゃんとしてるって評判だから大丈夫だと思う。レビューの良い運転手さんにお願いするし、遅くなったら翔陽も危ないし」

 私の申し出に翔陽は迷う様子を見せた。夜8時。まだ遅いとは言えない時間だけど、気をつけるに越したことはない。それをわかってニースとエイトールもいつも早い時間から私と会ってくれているから。
 私を最後まで送ってくれたら翔陽の帰る時間は遅くなってしまうし、それは私も本意ではないと翔陽の迷いを打ち消すように誘導する。

「だから、翔陽も気をつけて帰ってね!」
「名前がそう言うなら⋯⋯わかった」

 少しだけ渋る様子を見せて翔陽は頷いた。

「タクシーだからってのんきに気を緩めないから安心してよ」
「あっでも心配だから一応寮ついたら連絡して! ニースに任されてるから!」
「じゃあ翔陽もして」
「俺?」
「無事に部屋戻ったよーって。報告し合おう」
「ん、了解」

 小指と小指を絡ませるような約束ではない。きっとそれくらいの約束が丁度良いのだ。今の私達には。
 じゃあねと言って手を振り合って踵を返した私の背中に翔陽の声が届く。

「名前!」
「うん?」
「今日、会えて良かった」

 もし明日、心が陰る事があろうとも私はこの人の笑顔に照らされるんだろうな。はにかむように笑う翔陽は、夜の中にある太陽みたいだと思った。
 翔陽に惹かれたことにも、気持ちを口にしたことにも後悔はなにもない。むしろ誇らしいとさえ思える。

「うん! 私もすごくそう思う」

 明日の翔陽も笑顔でいられますようにと私は密かに願っていた。

(21.03.03)


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