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 朝日が昇る。
 ビーチには幾人かの人がいて、私達と同じように太陽に身体を向けていた。水面に滲んで、ゆっくりを街を目覚めさせるように照らす光。
 そう、この光景。胸を強く掴まれてぎゅっとほんの少し苦しくなっちゃうような美しさ。息が止まって、感嘆することさえ出来なくなるような。

「私、初日の出見たの初めてかも」
「えっまじ!?」

 私がそう言うと翔陽は驚いてこちらに顔を向けた。
 だって今までは年越しの瞬間まで起きてたし。むしろ年越しの瞬間お参りに行ってたし。帰ってくることには眠くて眠くて初日の出どころじゃない。初夢のことすら忘れるのに、日の出なんて拝めるわけもなかった。

「日本にいたときは2時とか3時に寝てた。友達と神社行ったりして」
「真夜中に神社!」
「人混みすごいけどね」
「俺、朝派だった。そんでそのあとランニング!」
「なんか想像できるなぁ。まあだからさ、初日の出⋯⋯っていうか昇ってくる朝日がこんなに綺麗だなんて知らなかったんだ。前に一緒にこうやって見たときも思ったけど、そこそこ生きてきたつもりでも私が見過ごしてきた景色はたくさんあるんだなあって」

 この景色から始まる1年はきっと幸せとしか思えない。大きく息を吸って、吐いて。温かいリオデジャネイロの空気を肺の中に取り込む。
 翔陽はまっすぐに海を見つめていて、その横顔にやっぱりこの人が好きだなと強く思った。波の音。道路を走る車の音。海鳥が大きく旋回して飛んでいくのを見つめながら、触れてみたいと思う感情をぐっとこらえた。

「だから、気づけてよかった」
「わかる」
「え?」
「俺も、ここにいて知らないこととか、自分に何が必要かとかたくさん教えてもらえてるから。いろんな人に出会えて、いろんな体験して、まだまだ足りてなことはたくさんあるんだけど、でも名前の言いたいことすげーわかる」

 もう一度海の方を見つめる。完全に姿を現した太陽は街を起こした。

「今年もよろしくね、翔陽」
「よろしくな、名前」

 そう言って私に笑いかけてくれる翔陽に私の心臓はきゅっと、またどうしようもない音をあげるのだ。⋯⋯翔陽のこと、あの時よりももっと好きって言ったら困るかな。驚かせちゃうかな。

「名前は6月までだっけ?」
「え? あ、うん。6月には帰国する。翔陽はあと3ヶ月もないくらいだよね」
「2年って結構あるなって思って来たけど、あっという間だった気がする」
「それだけ翔陽が濃厚な毎日を過ごしてたってことだよ」
「戻ってトライアウト受けて、またバレー出来んのすげー楽しみだけど、こっちで知り合った人たちとはなかなか会えなくなっちゃうからそれはすげー寂しい」

 わかる。とっても。どこでもドアがあったらいいのにって思うくらい。でも皆それぞれの人生があって、夢があって生きる場所があって、たくさんの道筋の中で偶然出会えたこの縁はきっと簡単には消えない。
 つながりを大切にする翔陽はきっとこれから先どんな場所にいても、またいつか、手繰り寄せられるように大切な人と再会出来るんじゃないかな。
 だって世界は自分が思っているよりも案外小さい。自由にどこまでも行ける。裏側でも最果てでも。そこに意志があるなら私達は行きたい場所に行けて、会いたい人に会えるのだ。

「でもほら、私とは日本でいつでも会えるよ。いつでも翔陽のところに会いに行くし。あっ試合! 観に行って応援しないと! これで少しは寂しくなくなるんじゃない?」

 冗談めかして言う。最初に日本でも私と会ってくれるって言ったのは翔陽のほうなんだから、笑って「そうだった」って言ってくれると思ってたのに。
 なのに翔陽は私の顔を見て、瞬きを繰り返して、そして結局何も言わず顔を赤く染めるだけだった。
 それはどういう感情なんですか。聞けるわけもなく「じょ、冗談。試合は観に行くけど、別に私がいるからってそんな寂しくないとかそういうのはないよね⋯⋯アハハ⋯⋯」とどうにかその場を誤魔化すように言うのが精一杯だった。

「そんなことは!」
「しょ、翔陽?」
「そんなことは、ない⋯⋯と思う。試合観に来てくれるならすげー嬉しいし、会えないのは寂しい、と思う⋯⋯と思う」

 そんな風に翔陽の赤らむ顔を見たのは初めてだったかも知れない。いや、もしかしたら太陽の光があたってそう見えたのかも。だって翔陽がそんな顔をする理由、どこにも見当たらない。

「そっか。うん⋯⋯そう言ってもらえたらすごく嬉しい」

 その言葉と共にまたしても私のお腹が音をならした。雰囲気を察することが出来ないお腹にさすがの翔陽も一瞬気の抜けた顔をして、そしていつものように笑う。

「⋯⋯いや、本当に毎回ごめん⋯⋯。何か少し口にしてから寮出なよって話だよね⋯⋯」

 穴があったら入りたいと私は顔を思い切り下に向ける。なにも今空腹サインを出してこなくてもいいのに。最悪。でも翔陽が笑ってくれて良かった。変わらない翔陽で良かった。

「俺もお腹空いた!」

 そう言って立ち上がった翔陽はお尻についた砂を払う。過去をなぞらえる仕草。あの時も翔陽はそう言ってくれたこと、覚えているだろうか。忘れていたとしても私が覚えているから良いんだけど。

「手、かして」
「え?」
「その、転ぶと危ない、から」
「あ、ありがとう」

 私が立ち上がるよりも先に、目の前に差し出された手のひら。踏みしめる砂の感覚は変わらない。街を照らす太陽の光も。あの時だって私が転んで翔陽は手を差し出してくれた。でも違う。あの時、翔陽の手をとった私とはもう違う。
 躊躇いがちに手を重ねて、握られる力に全てを委ねた。
 新しい1年が始まる。

(21.04.24)


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