オリンピック観戦


 2021年8月。バレーボール男子日本代表――通称、天照JAPANは予選リーグを2位通過し、準々決勝へ駒を進めた。ここからはトーナメント戦へと試合形式を変え、文字通り各国代表が金メダルを目指して上り詰めようと奮闘することになる。
 試合開始目前。コートサイドの席に腰を下ろした私はこれから始まる試合に胸が高鳴っていた。薬指にある指輪にそっと指を置く。規定で選手は指輪をつけることは許されていないけれど、ネックレスの形にしていつも身に着けていると言った翔陽の言葉を思い出す。
 あのコートの中は私のフィールドじゃないし、ここからは翔陽と同じ景色は見られない。けれどそれでもこういう形で、夢に近づいていく翔陽に寄り添うことが出来るのは本当に嬉しい。

『今日の試合観に来てくれんだよね?』
『うん』
『席どころだっけ?』
『サイド席だよ』
『絶対勝つから見てて!』
『楽しみ』

 今朝、スマホでやりとりしたときは気合いに満ち溢れていたけど、今はどうだろう。緊張してないかな。だけど本当はそんなことを心配している私のほうが緊張でどうにかなってしまいそうだった。
 日の丸色のユニフォームを着た翔陽が姿を現す。オリンピック出場に選ばれた12人。予選リーグでその光景を見てきたはずなのに、何度見ても涙を流してしまいそうになるのはどうしてだろう。
 私の大切な人があそこにいる。日本中の期待を背負って戦おうとしてる。翔陽の身に起こる全てのことが自分のことのように思える。緊張も喜びも苦しみも全て。だから私も、バレーボールを大好きになる。

 
♯  ♯  ♯

 
 セットカウント2−1。日本が2セットを先取した第4セット目の試合終盤。24−23でマッチポイントに王手をかけたのは日本だった。
 大事なシーンで翔陽にサーブが回ってくる。絶対に決めたい1本。観客全員そう思っているはずだ。だけど翔陽はそんなこと思ってない。負けても良い試合が今まで1度だってなかったように、絶対に決めたい1本なんて1つもない。全てが勝利へ繋がる大切な1本なのだ。
 誰もが固唾を飲んで翔陽を見守っている。サーブ位置に着いた翔陽は大きく深呼吸をした。審判が鳴らした笛の音が広い体育館に響く。
 8秒。それがサーブを打つまでに与えられた猶予の時間。

「あ⋯⋯」

 その音が鳴ってすぐ、翔陽と目が合った気がした。一瞬、本当に一瞬だけ翔陽は微笑んで、何もつけていない自身の左手の薬指に唇を押し当てた。そのままボールを左手に持ち直し高く高く放り投げる。緩く伸びやかな曲線で宙へ浮いたボールは落下し、翔陽の手のひらがそれを捉える。
 力強い打撃で相手コートの床に打ち付けられた。サービスエース。翔陽のサーブでマッチポイントを得たのだ。会場に歓声が湧き上がる。
 あっという間だと思った。笛が鳴ってからの8秒間も。この試合全ても。コートの中にいる選手達が集まって喜びを分かち合う。選手としては背の小さい翔陽は、すぐに姿が見えなくなった。


♯  ♯  ♯


『わりと早い段階で名前の姿見つけた』
「そうだったの? 翔陽は試合に夢中だろうし、きっと最後まで気が付かないかなって思ってた」
『サイドにいるって言ってたし、リベロと交代で下がったときにちょっと見たらすぐあそこだ! って』
「⋯⋯だから最後こっち見た?」

 選手村に戻ってきた翔陽から連絡が来る。私は実家の、物置と呼んでも差し支えない、かつての自分の部屋でスマホに耳を押し当てていた。

『あれは、なんかこう⋯⋯パワーもらえる気がして。⋯⋯あ〜やっぱり今のナシ! 多分試合で興奮してて無意識だった! サービスエース決められたから良かったけど、アウトだったら影山にすげー怒られてたと思う』
「んんっ、そっか」
『恥ずかしいんで笑わないでくれませんか』
「だってやっぱり私は嬉しかったし。ヒーローインタビューで私のこと言ってくれたのもそうだけど、愛されてるなあって」
『⋯⋯勝利の喜びをまずは誰にって聞かれたらそりゃあ最初に浮かぶのは名前以外いないっていうか』
「奥さんですって言ってたね。世界で一番可愛い俺の大切な奥さんです! って」
『そんな風には言ってないって! いや、可愛いけど! 世界一だと思ってるけど!』
「あはは」

 夢が夢じゃなくなる瞬間を私たちは知っている。夢を叶えるためにどうすれば良いのか私たちは知っている。

『明日も勝つ』
「うん」

 明日は決勝。対アルゼンチン。グループBの予選リーグを1位通過した強敵。

「明日も応援してる」

 明日も翔陽の細やかな力になれたらと願う。
 バレーボール男子日本代表――通称、天照JAPANのオポジット日向翔陽は世界に誇る、私の大好きな旦那さんだ。

(21.06.20 / 80万打企画)


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