新婚旅行の話


 メキシコはカンクン。カリブ海にあり、地中海の代表的なリゾート地として知られる場所。そこが私達の選んだ新婚旅行先。サンパウロに来てから約2ケ月。生活の基盤を整えたり手続きを行ったりと今日までは本当にあっという間だった。

「すげぇ! 海綺麗! ホテル豪華!」

 サンパウロからカンクンへは乗り換えを含め約12時間。半日かかった移動に体が悲鳴をあげそうになったけれど、そんなものは広がるカリビアンブルーの海を前に一気に消え去った。オールインクルーシブのホテルに泊まるのも初めてだし、普段とは何もかも違う旅行。
 開放感と共にキングサイズのベッドに寝転んで、窓辺からビーチを眺める翔陽の横顔を見つめる。

「翔陽、ありがとね」
「え、何が?」
「予定調整してくれて」
「そんなの名前もじゃん」
「そうだけど、翔陽のは毎日の積み重ねでしょ? 旅行中バレー出来ないの辛くないかなーって」
「時間空いたらホテルにあるトレーニングルーム行くつもりだけど名前も一緒にトレーニングする?」
「……筋肉痛怖いからそれはいったん保留で」

 そう言うと翔陽は白い歯を見せて笑う。部屋に差し込む太陽の日差しがその髪の毛を照らして、私は性懲りもなくまた『綺麗だ』と月並みな感想を抱いた。

「このあとどうする? 俺は全然疲れてないからどこでも行けるけど」
「翔陽は長距離移動慣れてるもんね。私もまだ元気だけどせっかくのオールインワンクルーシブだしプライベートビーチでのんびりしたいかな」

 オールインワンクルーシブ。その名の通り、食事、ドリンク、プール等、全ての施設利用費がホテル代に含まれているホテルである。部屋から見えるビーチもこのホテルの利用者だけが足を踏み入れられるプライベートビーチだ。

「よし、じゃあ下のビーチ行こう! 名前は水着持ってきたんだっけ? こっちで買う?」
「サンパウロで新しいの買ったよ。黒色のボタニカル柄のビキニなんだけど、下はハイウエストで上がフリルがついたショルダータイプですっごく可愛いの」

 キャリーケースの中から水着とカバーアップを取り出す。実際に着るのは試着した時以来。あれから悪あがきの筋トレに励んだし、綺麗に着こなせますようにと密かに願った。

「そういえば名前の水着姿って見たことない気がする」
「確かに。リオでビーチに行くことは多かったけど泳いだりすることはなかったもんね……あ、翔陽」
「ん?」
「今、私の水着姿ちょっと想像した?」
「え! いや! はい! いいえ!」
「あはは」

 リオにいた時のことを思い返しながら翔陽をからかってみる。慌てる様子に、少しは想像したんだなとわかる。そんな風に意識してもらえるのは単純に嬉しい。
 だけど、そうは言ったものの、MSBYに所属していた時に翔陽のユニフォームが黒色だったからという理由だけで私は黒色を選んだ。水着を選びながら翔陽はどんなのが好きかな、なんてことを考えていたなんてさすがに恥ずかしすぎるから、このことは私だけの秘密にしておこうと思うけれど。




 プライベートビーチへ足を踏み入れる。細かい砂の粒子をビーチサンダル越しに感じられて気持ちが良い。温暖な気候がブラジルを彷彿させた。ヤシの木が並び、白い砂浜にはその影が落ちている。

「名前、それ脱ぐ……?」
「あ、上の羽織り物? 日焼けしたくないし今は脱がないかな。どうかした?」
「お、思ったより露出があって動揺してる」

 ビーチパラソルの下にあるデッキチェアに座ったけれど、先ほどから翔陽がこちらを見ようとしないのはそれが原因かと納得する。
 もうそれなりに長く一緒にいるし、それなりに色んな事を経験してきたのだから、今さらこんなことで動揺する必要もないのに。でもその反面、そんな風に反応してくれる翔陽が可愛いとも思う。

「そっかそっか。それで、水着はどう? 可愛い?」
「え! 可愛い、けど」
「けど?」
「目のやり場に困る……かなって」

 正直な翔陽の言葉に耐え切れず笑ってしまう。

「いや、名前笑い過ぎだって!」
「だって今更そんなこと言われるとは思ってなくて」
「そうだけど、なんか、ごめん、俺浮かれてるのかも」
「え?」
「名前と一緒に旅行出来るの楽しみにしてたから」

 頬を撫でる海風。波がさざめき、木々は揺れる。
 マリンアクティビティーをして、遺跡を巡って、タコスを食べて、可愛い骸骨の置物も買うかもしれない。今日までがあっという間だったように、カンクンで過ごす日々もあっという間に過ぎてゆくのだろう。

「うん、私も。だから目一杯楽しもうね。ってことで、私の水着にも早めに馴れてください!」
「うっ……ガンバリマス……」

 日焼け止めを塗っているけれど、きっと帰る頃には私も翔陽も肌の色が少し黒くなっているに違いない。赤くなった肌を指差して、ヒリヒリして痛いねって笑い合う未来が想像できる。それに判断能力が低下して、使いもしないのにソンブレロを買ってしまうかもしれない。なんであの時買っちゃったんだろうねって、やっぱりふたりして笑うんだと思う。
 そうやって重ねた思い出をいつまでもいつまでも忘れず、時折思い出しては語るのだ。10年後、20年後、30年後、と。

「やっぱり足元だけ海に入ろうかな。翔陽も行こ!」

 デッキチェアから立ち上がり、翔陽の手を引く。カバーアップの裾が揺れて、露出された太ももをくすぐった。日差しは容赦なく肌を照らす。
 振り向いて、見上げた先にいる翔陽が幸せそうに微笑んでいたから私はもうそれだけで大満足だった。

(22.6.19)

※ソンブレロ……メキシコ人が被ってるイメージがあるつばの広い帽子の名前


priv - back - next