09


「ニースはさ、エイトールのどこを好きになったの?」
「え?」

 一瞬驚いた顔をしたニースは思案を巡らせ「ショーヨーと何かあったの?」と逆に質問を返した。翔陽と出かけた翌日、リオブランコ通りにあるカフェ。メニューを見た瞬間選んだ新作ドリンクの味が期待以上に美味しかったからそんなことを聞いてしまったのかもしれない。

「ないよ、ないない」
「あれはどうなったの? 朝日見に行くって」
「行ったけど、普通だよ。朝日見て、ご飯食べて解散」
「案外ショーヨーって意気地ないのね」
「意気地っていうか、翔陽は普通に友達として誘ってくれたからそんなつもりは一切なかったんだと思う」

 私だってそんなつもりで誘いに乗ったわけじゃないし。あくまで純粋に友達として。

「エイトールってチャーミングなのよ」
「うん?」
「ユニークだしフレンドリーで。まあ、それこそたまに意気地がないときもあるけど、理屈じゃなく愛してるって思うわ」

 それが、私の質問に対する回答だとわかったのはニースがそう言い終えた時だった。愛。それを語るには私はまだ何も知らなすぎるような気がする。他人を愛するとはどういう感覚なんだろうと思いながら、ニースの柔らかい笑顔に心がほぐされる。

「ニースとエイトール見てると私も幸せになれるよ」
「嬉しい。ありがと」

 屈託のない翔陽の笑顔を思い出す。あの美しい瞳に自分が映る事が私は多分嬉しい。同じ景色をシェア出来る事が嬉しい。翔陽も同じように思ってくれていたら、もっと嬉しい。そんな風に思えるのは愛の始まりなのか恋の始まりなのか。それとも長く続く友情の始まりなのか。

「ナマエはショーヨーのことそんな風には見られない?」
「ん? んー⋯⋯」

 優しい瞳だった。穏やかで、それは翔陽と見つめた朝の水面によく似ていた。気持ちを正直に打ち明けることに躊躇う必要すらないように思えて、私は露呈するように気持ちを吐き出す。

「いや、そんなことはない。多分簡単に好きになっちゃうかも。でもそれよりももっと翔陽のことを知りたいなって。翔陽といると楽しいし、普通に人としても好きだし。長く知り合いだったわけじゃないけどそう思えるのって相性も悪くないのかなって思うし。まあ、翔陽は私じゃなくても誰とでも仲良くなれそうなタイプだけど。でももっと知りたいな。どんな風に景色を感じて、何に心が揺さぶられるのか。翔陽の深い部分を知りたい」

 気がつけば飲み物は底をついていた。明後日には競技会は終わる。しばらくすれば翔陽は日本へ帰るし、そうなったらもう一緒に朝焼けは見られない。

(⋯⋯それはちょっと寂しいな)

 海が揺れ波が立つように、私の心も時々揺れる。凪いだと思えばさざ波がやってきて、結局落ち着かない気持ちは収まりどころもわからないままだ。
 翔陽の背中を見つめて抱く高揚感はきっと他の人では味わえない。私は自分で自分の道を切り開ける。誰かの力を借りることもあるけれど、そのために努力することを惜しみたいとは思わない。だけど、夜を割くように自転車で駆けた翔陽の背中は、ただただ能動的に私を新しい場所へと運んでくれるような気がしたのだ。生まれて初めて味わうあの感覚を表現できる術を私は知らない。
 世界のどこにいても繋がっていたいと思える人に出会えたのは初めてかもしれない。そう思うと、私は。

「もうすでに恋しちゃってるのかなぁ⋯⋯」

 日本語で呟かれた言葉の意味を知るものはいない。

「ごめんなさい、なんて?」
「あ、ううん。こっちこそごめん。今までどうやってこの人が好きだって認識出来てたのかなって」
「なに、ナマエってばそんな難しいこと考えながら恋愛してきたの?」
「長いこと恋愛から遠ざかってきたし」
「そんなお婆ちゃんみたいなこと言わないでよ」
「勉強勉強勉強って感じだったから」

 ニースが肩を上下に動かして笑う。実際、この留学に向けて勉強ばかりしていたからニースに言ったことに偽りはないのだ。
 
「日本人がどうなのかは知らないんだけど、ブラジルでは友達から恋人になるまでの間にFicanteって呼ばれる期間があるの。知ってる?」
「ううん」
「まあいわゆる見極める時間って感じ? 気になる相手とのキスもセックスもあり。他に同じような相手がいたとして、その人とキスをしてもお咎めはしない。お互いにね」
「おお⋯⋯。それは日本人にはない関係性だね」
「1番駆け引きが多い期間かな。Namoradoになっちゃえば正式に恋人ってなるけれど、まあそういうのもあるし、気になるんだったらキスでもしてみたら?」

 あまりにもあっけらかんとニースは言うもんだから頷いてしまいそうになるけど慌てて首を横にふる。

「それは絶対に無理⋯⋯嫌われかねない⋯⋯」

 げんなりとした顔で言う私を見てニースはまた肩を震わせて笑うのだった。

(21.02.28)


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