カフェにいるふたり

 ホテルリガーレにあるパティスリースヴニールの一番人気を誇る苺のショートケーキはお客からの評価が非常に高く、休日にもなれば午後には売り切れてしまうということで有名だった。
 その名前は都内に限らずメディア等により広く知られ、宮城県から東京に旅行でやってきた月島蛍の耳にもその評判の良さは届いていた。共に旅行中の名前に先頭を切ってオープン前の列に並んでもらい、席に案内されるとメニュー表も見ずに月島は言った。

「ショートケーキ2つとコーヒーと紅茶お願いします」

 畏まりましたと頭を下げて去っていくギャルソンを見届けてから名前が口を開く。

「蛍くん今回の旅行でこれが1番楽しみだったりする?」
「……これも、楽しみだった」
「素直!」

 カフェの中は大半が女性同士か男女の組み合わせだ。旅行とは言え蛍くんが1人でくるのは確かにハードルが高いかもしれないと名前は人知れず頷く。

「なんか失礼なこと考えてない?」
「えっまさか! 私もここのショートケーキ食べたかったから楽しみだなあって」
「……そ」

 有名な高級ホテルとは言え日中のカフェだしと、普段より少しだけオシャレなワンピースを選んだことを名前は安堵した。さすか都会と言えば良いのだろうか、周りにいる女の子か全員読者モデルのように思えるくらい可愛いとつい辺りを見渡してしまう。

「なに、キョロキョロして」
「んー可愛い女の子たくさんいるなあって」
「なにそれ。別に普通じゃない」
「蛍くん、あの子可愛い〜ってならないの?」
「……彼女が目の前にいるんだからそんなこと思うわけないじゃん」

 やっぱり今日の蛍くんは素直だと名前は思う。それがショートケーキの魔法なら、多分今日は1日中素直な蛍くんを堪能できるわけだと、名前は隠しきれない笑みを浮かべた。

「午前中からケーキも案外幸せだね」
「午前中じゃないと売り切れるんだから仕方ないでしょ」
「焼き菓子も美味しいみたいだから宮城帰ったら食べるように買って帰ろうね」
「1人で全部食べないでよ」
「そんなに食い意地張ってないよ!」

 朝の日差しのような柔らかい笑み。眼鏡の奥にある双眸は愛おしそうに名前を見つめている。

「お待たせしました。苺のショートケーキ、サイフォンコーヒー、イングリッシュブレックファーストでございます」

 目の前に置かれた苺のショートケーキ。純白のなめらかな生クリームの上には大粒の苺がその存在を主張するように輝きを放っている。
 サイフォンで淹れたコロンビア産のコーヒー豆は3日前に焙煎された飲み頃の段階であり、置いた瞬間からその芳ばしさが香った。名前の目の前に置かれたイングリッシュブレックファーストからも伝統的な茶葉のそつがない香りがあった。添えられたミルクを注いで、綺麗に中和されると名前は手のひらを合わせる。

「食べよう!」

 絶対に僕より名前のほうが食べるの楽しみにしてたでしょ。まずはその言葉を飲み込んでから、月島もフォークを手に取る。
 
「……んま〜」
「腑抜けた顔してる」
「美味しいもの食べると人は皆こんな顔になるんです。蛍くんもなるよ」
「ならない」

 口にした瞬間溶けていく生クリームは程よい甘さで、しっとりとしたスポンジをきちんと包み込んでくれている。間に挟まれた苺の微かな酸味ともバランスが良く、シンプルながらも素材の良さが際立つ味に、月島は名前が腑抜けてしまうのもわかる気がすると少しだけ口角を上げた。

「来週テレビで、上にあるフランス料理のレストランが特集されるんだって」
「へぇ」
「今度はそっちも一緒に行ってみたいね」
「フランス料理で名前、ちゃんとお腹いっぱいになる?」
「なるよ! ……いやならなかったらラーメン食べて帰る」
「ラーメンって君ね」

 まあ僕よりたくさん食べるところ結構好きだけど。月島はもう1度言葉を飲み込んだ。東京に一緒に行くことを決めたとき、ガイドブックのグルメページにたくさんの付箋が貼ってあったのを思い出して、つい笑ってしまいそうになるのをこらえる。

「蛍くん?」
「いや、なんでもない」
「え〜そうかな。なんでもないようには見えないけどなあ。あっ美味しいケーキ食べて幸せなの?」

 能天気に、楽しそうに、幸せそうに。その顔を見つめながら頬を軽く摘んでやりたい気持ちにもなる。多分こう言うのを愛おしいって言うんだろうな。月島は込み上がる感情にそう名前をつけた。

「まあそんなところかな」

 口の端についた生クリームのことをどう指摘してやろう。考えながら月島の心は程よい甘さに溺れるのだった。