結婚式に招かれた客

「聖臣くん、お土産なにがいい?」
「何もいらない」
「いらないの?」
「いらない。変な奴に絡まれないようにちゃんと帰ってきて」
「私が行くのは結婚式だから変な奴なんていないよ」

 少しばかり不機嫌そうに言う佐久早聖臣を見て、その妻名前は笑いをこらえた。確かにお互い生まれ育ちが東京なんだからいまさら東京土産と言われても思い浮かぶものもないかと一人納得しながら、佐久早の不機嫌はそれだけではないとわかっていた。

「確かに聖臣くんから見たら私が着るワンピース寒そうに見えるけど、ちゃんと会場内は暖かいし、コートもダウン着てくから安心して。風邪には負けない」
「……そうだけどそうじゃない」

 この部屋にいる名前はいつもと変わらないのに、東京に着いて美容室に行けばきっと普段の何倍も可愛くなる。自然な雰囲気も好きだけど、そうやって着飾る姿も好きだと思う佐久早は、なんとなく自分がその場にいてその姿を目に入れられないのが不服だった。仕方ないこととわかっていてもだ。

「髪の毛可愛くしてもらったら写真送るから見てね!」
「ん」

 佐久早の気持ちを見透かしたかのように名前は言う。

「じゃあ行ってきます」
「名前」

 早朝の空の下へ歩き出そうとする妻の名を呼んだ。
 一歩近寄って見上げてくる瞳を1度しっかり見つめてから、佐久早はその身体を優しく包みこむ。ここまで近付いてようやく互いの香りを認識できるくらい、ふたりの暮らしは自然に混ざり合っていた。
 名前は大きく息を吸って、佐久早の広い背中に腕を回す。

「ちゃんと今日中には帰ってくるから、明日一緒にクリスマスパーティしようね」
「……名前がしたいなら」
「したい!」

 そう笑顔で元気に言われれば、こんな小さなことで不満げにしている自分が子供のようだと少しだけ馬鹿らしくなった。好きな人の1番美しい姿を知っているのは自分だけだという自負が佐久早にはあったのだ。
 重ねてきた時間は決して短くはない。
 
「また夜に」
「うん、行ってきます」

 家を出て新幹線に乗るため新大阪に向かう。名前が東京に行くのはお盆の帰省以来だった。佐久早と結婚し大阪に生活拠点を移してからは行くことはなくなったが、結婚式会場であるホテルリガーレには独身時代何度か友達とカフェに行ったことを思い出す。
 苺のショートケーキが絶品で、休日は何度か並んだこともあった。結婚式の会場に入るのは初めてだったが、きっと出てくる料理だって美味しいに違いないとすでに名前の気持ちは高まっていた。
 と同時に自分たちの結婚式を思い出した。純白のドレスをまとい、洗練された空間に身を置くこと、背筋は自然と伸びて、降り注ぐ日差しは祝福の色に思えるあの感覚。大好きな友達が、あのホテルリガーレで結婚式を挙げる。喜ばしい事この上ないとマスクの中で名前の口角は上がるのだった。

「綺麗だったね」

 新郎新婦に見送られ、友人と共に披露宴会場を出た名前が口にする。
 本館菊の間で行われた披露宴は滞りなく終わった。最大96名が着席できる菊の間はシャンデリアが煌めくエレガンスな空間だ。シックにまとまったブリテッシュスタイルの内装は清純さがあり、ドラマチックな時間を回顧しながら理想的な結婚式だったと幾人かの人々が口にする。

「泣きそうだった……て言うか泣いた」

 わかる。心が洗われた。そして聖臣くんに抱きついて大好きと言いたくなった。脳裏に今朝別れたばかりの相手を思い浮かべながら、今頃練習も終わっただろうかと想像を巡らせる。

「名前は今日大阪戻るの?」
「うん」
「まあイブだし、旦那さんが待ってるもんね」

 待っている人がいるというのは、時々驚くほど安心感をもたらす。やっぱりパティスリーの焼き菓子をお土産にしようと名前は決めた。友達の言うように今日はクリスマスイブだし、ちょっと豪華なお菓子を買っても許されるはずだとクリスマス限定のボックスを購入し幸せが一層蓄積される。

『聖臣くん、練習終わった? 私は今から戻るね』
『さっき終わった。家で待ってる』

 さあ、帰ろう。愛しさがたくさん詰まった家に。

「それじゃあ私は東京駅向かうね」
「気を付けて帰って」
「うん、じゃあまたね」
「今度大阪遊びに行くよ」
「ありがとう」

 数々の調度品の前を通り、クーポラの内部に画かれた絵を1度見上げる。非日常的な空間に別れを告げれば、寒空の下ドアマンが正面玄関のドアを開けた。冬の冷たい風が吹き抜ける。絶対に風邪をひいてはならないと、ダウンの前をしっかりと閉じ、マスクをした名前は東京駅へ向かう。
 引き出物とパティスリーの焼き菓子を大切に抱えて背にしたホテルリガーレの入口サイドには、大きなクリスマスツリーが飾られていた。