フロントスタッフ

 こんな日だからこそホテルは忙しいのだと、休む暇もない労働に名前は活を入れた。12月24日。クリスマスイブの今日、ホテルは宿泊客やレストラン利用の客で溢れていた。恋人である赤葦京治を待たせないためにもどうしても定時であがりたい。

「あの、忘れ物ありませんか? エメラルドグリーンの箱に入った、小さいこれくらいのものなんですけど」
「確認いたしますので少々お待ちください」

 パソコンにインストールされた宿泊者情報が分かるアプリケーションを開き訊ねる。絶対に間違ってはいけないし、失礼をしてはいけない。背筋を伸ばしながら名前は1つ1つの動作を確認するように言葉を口にする。

「お客様」
「ああ、はい」
「お名前とご宿泊された日付をお教えいただきますか?」
「昼神幸郎。12月23日……確か、701号室に宿泊しました」

 確認をしてからバックヤードに行き、該当の忘れ物を手に取ると名前はそれを客の目の前に置いた。時期。ブランド。間違いなくクリスマスプレゼントだろう。この大きさなら中身は指輪で、もしかしたらプロポーズをするのかもしれないと顔に出さないままそんなことを考えた。

「確認いたしました。お忘れ物はこちらでお間違いないでしょうか?」
「これです。すみません、ありがとうございます」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 見送る背中にエールを送り、名前も退社の準備を始める。クリスマスイブに定時なんて奇跡としか言いようがないと思うながら、引き継ぎを済ませて外に行くと、正面玄関で待っていると赤葦からの連絡がきているのを確認した。
 白い息を吐き出しながら駆ける。イルミネーションを抜けて、ホテルの正面玄関。クリスマスツリーを横目に、今度はゲストとして再びホテルリガーレへ入ると同期のベルマンが名前に向かって笑いかけた。
 ロビーのソファに座っていた赤葦はその姿を見つけ、名前の元へ歩み寄る。

「おつかれ」
「京治も」
「さっき、ここから名前が仕事してるの少しだけ見てた」
「え、全然気が付かなかった……」
「一生懸命だったから」
「定時にあがりたくて頑張ったんだよ」
「俺も」

 柔らかい表情で赤葦は笑みを向ける。

「人、多いね」
「うん。クリスマスイブだから」

 玄関ロビー中央に置かれた巨大なクリスマスツリーを見上げる人。予約していたケーキを取りに来た人。上品な服を着てレストランを利用する人。いつも以上に煌めいた空間がホテルリガーレを彩る。

「パティスリースヴニールのアフタヌーンティー間に合う?」
「この時間ならギリギリ大丈夫。予約してたし、顔もわかってるから」
「従業員特権?」
「福利厚生って言って。あとル・リアンで七面鳥も予約したから帰ったら食べようね。これは従業員用に元々内部で予約してた分」

 お互い、クリスマスイブに浮かれるような年齢ではない。学生の頃、同じ通学電車に乗っていた名前に恋をした赤葦はもう何度も一緒にクリスマスを過ごしてきた。今更特別な何かがあるわけではないけれど、それでも心が浮足立つのは抑えられない。
 クリスマスだからなのかホテルリガーレだからなのか赤葦には判断がつかなかったが、名前がいるからにしておこうと結論づけ、幸せそうな顔をする名前の背中に手を当ててパティスリーへ歩みを促した。

「今日はチートデイだからたくさん食べる宣言しておく」
「いつのまにダイエットはじめたの?」
「先月光太郎くんと会った時に丸くなったって言われたから」
「……木兎さんなんてことを」

 名前のいとこである木兎光太郎の名前を出せば、赤葦はその言葉に頭を抱える。

「夜勤続いて不摂生たたってた自覚はあるんだ。もうちょっとで目標体重なんだけどなかなか最後が減らなくて、せっかくのクリスマスイブだしチートデイを設けてみた」
「ダイエットしなくても可愛いのに」
「それ! 京治がそうやって優しくしてくれるからのつい甘えちゃうんだよ……」

 甘えっぱなしでも悪い気はしないけど。
 必要以上に構いたくなって、甲斐甲斐しくしてあげたくなるのは己の性格かもしれないと名前の言葉は否定できなかった。
 カフェに行けば席は多くの人で埋まってる。楽しげな会話の中を通り、案内された席に座ってアフタヌーンティーのスタンドを待つ。ホワイトクリスマスをモチーフにしたシャンパン付きの限定クリスマスアフタヌーンティーは、1ヶ月前には予約満席となった人気のコースだ。
 乾杯のシャンパンが先に運ばれてきて、二人はグラスを手にする。

「お仕事おつかれさま。メリークリスマス」
「メリークリスマス」

 ふたりで奏でたグラスの音は、幸せな喧騒の中、静かに溶けていった。