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 孤爪くんが教えてくれた試合当日、私は1人で試合会場に足を運んでいた。本当はゴンちゃんを誘おうかと考えたけれど、1人で見たほうが良い気がして結局、誘えなかった。会場には応援にきた人が大勢いて、何だか高揚とする。
 選手らしい人も見かけるけれど誰も彼も他校の生徒で、ジャージを見てもピンと来なかった。正直、バレーの強豪校って言われても私にはわからないし。それに今日は孤爪くんを観にきたのだ。他校の生徒はまあ、どうでもいい。
 孤爪くんへ会場に居ることを連絡しようかと思ったけれど、試合前に連絡するのは気が引けて手に持っていた携帯を鞄に閉まった。とりあえず、試合予定を確認して2階に行こう。そう思って入り口付近にある掲示板で試合の予定を確認すると孤爪くんたちの試合はそろそろ始まるようだった。
 慌てて2階に駆け上がって観覧席から音駒バレー部の赤いジャージを着てる人はいないかと探す。会場全体に目を配ると、その色味のお陰かすぐに見つけることが出来た。良かった。見やすい位置に移動して、試合が始まるのを待つ。孤爪くんは私がいることに気がついていないようだった。

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 審判のホイッスルの音、サーブを許可するその合図でボールは大きく放たれた。天井に向かって延び上がったそれは、選手の大きな手に打たれて、相手のコートまで綺麗な放物線を描く。速度を持ったボールをレシーバーが上げ、セッターにかえる。サーブとは正反対の軽い調子でトスされると、アタッカーが鋭いアタックを放った。私はそんなボールの応酬をひたすら目で追っていた。
 だけど、やはり、どうしても、孤爪くんに目がいく。レシーバーが上げたボールを孤爪くんが綺麗に、正確にトスする。バレーなんて体育の授業でしかやったことないのに、孤爪くんの上げるトスがどれほど凄いのか分かる気がした。無駄のない動き。普段の孤爪くんからは想像できないような、そんな動き。
 別人なんじゃないかなって思うくらい。それくらい、私の知らない孤爪くん。孤爪くんを中心に攻撃が組まれているのが素人でも分かる。セッターってそういう役割だってネットで事前に調べてきたけれど、生でみるとより強く実感する。なんだか、孤爪くんが違う世界の人みたいだ。
 見つめるのに夢中で声を出すのを忘れてしまう。いや、違う。名前を呼んで、私の存在が知られるのが怖い。理由は自分でも分からない。ただ、何て言うか、孤爪くんのしなやかな動きだとか、うっすらと光る汗だとか、チームメイトに見せる表情だとか、そんな、私の知らない孤爪くんの姿にどんな風に向き合えば良いのか分からないのだ。

 ――恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在している

 トスを上げる孤爪くんを見た瞬間、私の頭の中に、先日の言葉が走った。待って。そりゃあ、二人で帰ったり手が触れたりしたら、私だって女の子だしドキドキするけどさ。だけど、それって孤爪くんだからではなく、男の子だからであって、それにそれは恋ではなくって、思春期ゆえの、と思っていたのに。孤爪くんは友達で、話すとなんか面白くて、恋ではないと思ってたのに。なのに、どうして今、その言葉が思い浮かんでしまったのだろう。孤爪くんは私を友達として誘ってくれたんだから、私がそんな気持ちになってしまったら、ほら、辛いのが目に見えている。
 頭を降って気持ちを整える。しっかりしろ、私。穏やかではない心中で試合を観覧する。意識しても意識しなくても孤爪くんに目がいっちゃう自分が憎い。
 ピピーッと甲高いホイッスルの音が響いて、試合の終了を告げる。セットカウント2対0。音駒の勝利だった。……帰ろう。孤爪くんには夜に連絡を入れることにして今日はもう帰ろう。これ以上心が乱れてしまう前に。そう思って観覧席を去ろうとしたとき、2階に目を向けた孤爪くんと目が合った。
 一瞬、本当に世界の時間という概念が消えてしまったような感覚に陥った。だけど、目が合ったのは気のせいかもしれない。孤爪くんは気付いていないかもしれない。そんな風に冷静を取り戻すと、これは恐らく気のせいなんかではないけれど、孤爪くんが微笑んだ。ほんの少しだけ口角を上げて、手をひらひらと小さく私に向かって振ったのだ。

 ――恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在している

 もう一度その言葉が浮かんできて、頭の中の夏目漱石が私に言った。あの一瞬が、お前の衝動だ、と。顔に熱が集まるのが分かる。あの瞬間、私は確かに孤爪くんに心を奪われた。

(15.09.18)