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 平常を保って登校した学校は、いつも少し違う気分だった。孤爪くんに会うのが楽しみのような、緊張するような。感情が入り交じったこの感覚を上手く表現する方法を私はまだ知らない。
 椅子に座り、隣にいる孤爪くんにぎこちない笑みで「おはよう」と声をかけた。

「おはよう。……昨日は、どうも」
「う、ううん! こちらこそ、ありがとう」
「結果的には、予選敗退だったんだけどね……」

 朝イチで敗退なんて結果を教えられてぎょっとするけれど、それでも平然な態度で「お疲れ様」と返した。今日は少し、孤爪くんが饒舌な気がする。

「声、かけてくれれば良かったのに」
「部活の人たちたくさんいたから、かけにくくて」
「ああ、そうか……」

 さらりと指通り滑らかそうな孤爪くんの細い髪がその頬をくすぐる。てっぺん、だいぶ伸びたなぁ。なんて呑気なことを思った。染め直さないのかなぁ。

「でも凄かったよ。孤爪くんなんてあんな簡単にトス上げちゃうし、とっても早いボールブロックしたりするんだもん」
「……避けることもあるけどね」
「当たったら腕折れそうだもんねぇ」

 孤爪くんの口角が心なしか上がった気がする。去年、同じクラスだったときは、こんな風に笑う男の子だとは思わなかったな。

「もっと早く孤爪くんと仲良くなればよかったな」
「……え?」

 ほとんど無意識のうちに、口から出た言葉に、自分でも驚く。孤爪くんもまあるい瞳を見開いて私を見つめるから、余計慌てふためく。

「あ、いや、ほら。私、去年も孤爪くんと同じクラスだったのに、あんまり話できなかったでしょ? 今年になってこうやってよく話せてるけど、孤爪くんと話すの楽しいし、もっと前から仲良かったら良かったのになって思っただけであって、別に深い意味はなくてね!」

 思いのままに弁解をする。ひい、これでは自分で自分の首を閉めているとしか思えない。

「楽しい……」
「えっ?」
「おれと話すの、楽しいの?」
「えっ、楽しいけど。えっ?」
「……そっか」

 どうして? 楽しくなかったらこんなに話さないし試合誘われても行かないよね。理由を聞こうとするとタイミング良くチャイムが鳴る。ホームルームのばかやろう。孤爪くん、変に捉えてないといいんだけど。そんな私の心配は結局、放課後まで続いていた。


△  ▼  △


 学校内での全ての行程が終わり、いざ家に帰ろうとすると担任に呼ばれた。え、このタイミングで? と思いつつも、何か変なことしたっけ? と不安が少し頭を過る。しかしそんな心配を余所に、私が呼ばれた理由は至極簡単だった。

「悪いなあ、手伝わせちゃって」
「本当ですよ……」
「確か名字は部活入ってないなって思い出して」
「他にも入ってない子いるのに……」
「俺の目の前にいたのが運のつきだな!」

 私に課せられたことは準備室の整理、そして資料作成の手伝いだった。何で私? 先生の笑い声にその疑問はいまだ絶えない。あの時もっと早く教室を出て帰るんだった。後悔先に立たず。ホッチキスで資料を留めながら思う。そんな作業を小一時間ほど行い、先生にジュースをおごってもらうと、お願いをもう1つ頼まれた。

「そうだ。名字は孤爪と仲良かっただろ。これ渡しといてくれないか?」
「え? 明日渡せばいいんじゃないですか」
「俺明日休みなんだよ。人間ドック行ってくんの。授業ないだろ?」
「ああ……」

 なるほど納得。先生から孤爪くんのノートを預かって少し途方にくれる。体育館にいるんだよね……。先生からお疲れ様と感謝の言葉をもらい、私は鞄を持って体育館を訪れた。
 キュッキュッ。そんな音に混じって、バレー部員の声が響き渡っていた。……無理、こんな中入れない。なんつーものを頼んできたのだ、あの担任は。
 どうしようかと頭を抱えていると背後から肩を叩かれた。ひぃ、と小さな悲鳴が口から漏れる。……誰?

「バレー部に何か用?」
「あ、えと、孤爪くんに用があって」
「研磨? 呼ぶ?」
「い、いえ! これ、先生から渡しといてって頼まれたんです。申し訳ないんですけど孤爪くんに渡してもらってもいいですか?」

 黒髪の背の高い男の人にお願いする。多分、3年生だろう。男の人は私からノートを預かると快諾してくれた。良かった、これで無事にノートが孤爪くんに渡る。

「あの、それでは失礼します」
「あ、待って」
「え」
「名前は?」
「名字名前です。孤爪くんと同じクラスの」

 なるほど、と男の人は何か納得したような顔つきをした。私はお辞儀をしてその場を後にするけれど、彼が黒尾という名前で、この時、私と孤爪くんの関係性にピンときていたと知るのはまだ少し先のことである。

(15.10.25)