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 きっかけ、と言えばいいのだろうか。事を大きく変えたのは多分、その週の土曜日のことだった気がする。梅雨があけてしばらく経ったある日。その日は激しい雨の降る日だった。午後を過ぎた辺りからいきなり天候が変わり、バケツをひっくり返したかのような豪雨になった。加えて吹き付ける突風。こんな日は絶対に外出出来ないだろうな、なんて部屋で呑気にしていた私に、外出していたお母さんから連絡がきた。

『洗濯もの取り込んでおいて! 雨足が弱くなったら帰るね。』
「了解、っと……」

 よくもまあ、こんな雨の日に外出したものだ、と我が母に関心しつつ、頼まれた洗濯ものの取り込みを行う。ついでだから、と玄関にある花壇が大丈夫か見てくるか、と向かおうとした頃、携帯が震える。

「孤爪くん?」

 携帯に表情された名前に、一瞬、心臓が高鳴る。急いで開いた。

『ごめん、名字さんの家、訪ねてもいい?』

 え? いきなりの事に私は驚く。それでも珍しい孤爪くんの急なお願いに、むしろ何かあったのだろうかとすぐに心配になった。

『大丈夫だよ。何かあった?』
『ごめん。ありがとう』

 はっと気付いて今着ている服を確認する。大丈夫。これなら会える。もう一度孤爪くんからの連絡をみた。何かあったのか答えてないのは、急いでるからとか? ううん、と頭を捻ると、チャイムが鳴った。え、早くない? と驚きながら確認もせずにドアを開けるそこには雨に濡れた孤爪くんが立っていた。私は慌てて彼を招き入れ、洗面所からバスタオルを持ってくる。

「だ、大丈夫? はい、これ……」
「ごめん、本当に……」

 バスタオルを受け取った孤爪くんはガシガシと乱暴に髪を拭いた。あ、せっかくの綺麗な髪が、と思ったけど口には出せなかった。

「……こっちに用があって来たんだけど、急に降りだして」
「そうだったんだね」
「駅まで走るつもりだったけど、名字さんの家、思い出したから」
「そっか。良かったよ」
「うん……。急に押し掛けてごめん」
「気にしないで」

 申し訳なさそうに述べる孤爪くんの動作を見つめる。寒そう、だな。服濡れてるし。少し迷ったけれど、私は孤爪くんに部屋に入ってもらい、濡れた服を預かった。せめて乾燥機にかけてあげたい。孤爪くんは一瞬、迷う顔をしたけれど、風邪ひくよ、と私が言ったら納得してくれた。
 とりあえず服を預かって、スウェットを渡した。自宅のリビングでスウェットを着ている孤爪くんが、変な感じすぎて自分の家ではないように感じる。そんな違和感を抱えながら、孤爪くんにお茶を出した。

「乾くまで20分くらいだと思う」
「ごめん……」
「謝らないでよ。風邪引いちゃったら大変だし。それより頼ってくれて良かったよ、本当に」
「迷ったけど……」
「そうなの?」
「うん、まあ……」

 まあ、そうか。確かに私が逆の立場だったら迷うもんな。それでも外の景色に視線を移すと、変わらぬ豪雨に、多分頼って正解だよ、とひっそりと答えを出してみた。
 携帯で天気を確認すると、2時間ほどで一端、雨足は弱まるとのことだった。その事を孤爪くんに伝えると「ごめん」と再び謝罪の言葉を述べられた、そ、そんなに謝らなくても大丈夫なのに。

「いきなり天気崩れちゃったもんね。しかたないよ」
「うん……」

 しっとりとした孤爪くんの髪を見る。いつもと少し違うそれに、私はまた少し動揺した。カチ、カチ、と時計の秒針の音が室内に響く。あれ、時計ってこんなにもうるさかったっけ。外の雨音も加わって更にうるさい。なのに、うるさいはずなのに、とても静かだった。部屋の中の空間が切り取られた感じ。まるで、世界に2人と言われても納得してしまいそうな感じ。
 そのことを意識した瞬間、身体中の熱が顔に集まるのを感じた。今、私は孤爪くんと2人きりなんだ。

「ぶ、部活だったの?」
「……うん。午前中だけ」

 緊張を誤魔化すかのように口を開く。孤爪くんは、今何を考えているのだろう。私のように緊張はしていないのだろうか。駄目だ。分からない。孤爪くんの頭の中を推測するのは難しい。

「……名字さん、は」
「うん」
「何してたの」

 いつもより少しだけゆっくりとした孤爪くんの口調。彼も私と同じように探っているのだろうか。この部屋で二人きりの私達の適度な距離感を。

「……本、読んでた」

 雨音が少し強くなった気がした。

(15.11.16)