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 それでもやはり、恐いものは恐い。面と向かってフラれる心の準備が私にはまだ整わなかった。テストを月末に控えていることを良いことに、孤爪くんを避けていた。酷いことをしている自覚はある。だけど、ゴンちゃんの言うように孤爪くんに真っ正面からぶつかって砕けたほうが、いっそ割りきれるんじゃないかな、とも思うようになってきた。
 そんな葛藤をする日が続き、とうとうテスト期間に突入したある日のことだった。孤爪くんとも会話らしい会話もせず、私も私で勉強に集中しようとしていた時、廊下で黒尾先輩とばったり会った。この人を前にするのは久しぶりだ。

「あ……どうも。おつかれさま、です」

 音駒男子バレー部のジャージを着ている黒尾先輩にかける言葉はそれくらいしか思い付かなかった。この時間は部活始まってるはずだし、忘れ物、だろうか。というかテスト期間に部活するって本当に強豪なんだなあ、うちのバレー部。そんな中でレギュラーって孤爪くん本当に凄くないか。

「居残り?」
「えっと、前に風邪ひいて休んだとこの授業の内容先生に軽く教えてもらってて」
「へえ、偉い。名前ちゃん真面目なんだ」
「や、さすがに点数悪いと親に怒られちゃうんで。うちテストの点悪いとお小遣い下がるんです。黒尾先輩は部活じゃないんですか?」
「忘れ物取りに来ただけ」

 そうなんですね。それじゃあ、と軽く頭を下げて横を過ぎようとした時、黒尾先輩が口を開く。

「研磨と何かあった?」

 足が止まる。何かあった? 知ってるくせに。黒尾先輩の意地悪さに私は少しムッとした。子供っぽいとは思ったけれど、少し拗ねた口調で「別に、なにもないです」と答える。黒尾先輩はきっと私の様子が変わったことに気付いているんだろうけれど、飄々とした様子で返事をする。

「あれ、怒っちゃった?」
「別に……怒ったわけでは……」

 ごめんねー、と間延びした黒尾先輩の言葉。毎回思うがこの人は、本当に何がしたいんだろう。勉強のストレスなのか、孤爪くんとの悩みのストレスなのか、私にも判断できなかったけれど、それらのストレスが私に勢いをつけた。黒尾先輩、と人気のない廊下に私の声。鋭い眼孔が私を捉えている。

「黒尾先輩は、孤爪くんから聞いてますよね、きっと」
「まあ、ね」
「つまりは、そういうことです」

 勢い任せに言ったは良いものの、言った後になって自分の生意気な態度に、あ、これはだめだ。と後悔した。けれど、ごめんなさいと素直に謝るのもなんだか癪に感じて黒尾先輩の出方を待つ。

「研磨と全然話してないんだって?」
「……まあ、はい」

 黒尾先輩を盗み見る。鋭いと思っていた瞳はいつのまにか少し、柔らかいものになっていた。黒尾先輩は、うーんと唸った後、少し考える素振りを見せて私に言った。

「研磨はさ、いきなり名前ちゃんの態度が変わって、ちょっと、まあ、なんつーか、困ってるんだよ」

 出た。『困ってる』……違うでしょ。孤爪くんは、私に好きと言われたくないから困ってるんでしょ。

「私は、別に、その……」
「研磨のこと、好き?」
「は? え、なんですかいきなり。いや、まあ、はあ……好き、ですけど」 

 歯切れ悪くそう言うと、黒尾先輩は満足そうな顔をした。いや本当になんなんだろう、この人。

「研磨は口には出してないけど、名前ちゃんが避けてるの気付いてるし、多分へこんでる」
「それは、私が『友達』として孤爪くんと関わるちょうど良い距離を保っているんです。……避けては、いません。い、一応」
「あいつはあんなんだから、恋愛事には疎いけど、研磨なりに向き合おうと頑張ってるから、名前ちゃんも向き合ってやってよ」

 この人も、ゴンちゃんと同じような事を言うんだな。でもそれでフラれちゃったら、私の傷付いた心は誰が癒してくれるって言うんだ。私を見つめる黒尾先輩を見つめ返す。この人、孤爪くんの幼馴染なんだよね。大切、なんだろうな。孤爪くんのこと分かってるって感じが伝わる。疲れるの嫌いって言ってたけど、孤爪くんもこの人がいるからバレーするんだろうな。そういうの、ちょっと羨ましい。
 好きって言ったらどうする。なんて保険をかけた言葉じゃなくて、ちゃんと、好きですって言わなくちゃならないんだろうな、やっぱり。私がそんな風に頭を悩ませていると、黒尾先輩が再び口を開いた。

「まあ、お節介承知で世話焼くけど、研磨は名前ちゃんが言った言葉を本当に、友達として好きって言ったらどうする? って言われたと思ってるから」
「は? え? どういうことですか?」
「俺も研磨から聞いただけだから、詳しくは知らないけど、名前ちゃんは違う意味で言ってても、研磨は名前ちゃんが誤魔化したであろう言葉をそのまま受け取ったってこと」
「つまり、孤爪くん、私の恋心にまだ気付いてないんですか? あの時の私あんなに分かりやすかったのに?」

 黒尾先輩が笑う。「まあ、そういうことだな」と言って、いつかの日のように私の肩を叩いた。それはつまり、最初に戻った? いや、違う。ちゃんと進んでいる。改められる機会が出来ただけ。ちゃんと、私が孤爪くんに好きだって言う機会。

(15.11.24)