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 部屋の隅で携帯と向き合う研磨の後ろ姿を、黒尾鉄朗はにやついた顔で見つめていた。合宿が始まってから今日まで、自分が伝えたアドバイスを研磨は懸命に守ろうとしていた。それが黒尾にとっては可笑しくて、しかし、今まで考えたこともなかった幼馴染の新たな1面に、ある種の感動を覚えてしまう。

「研磨さん、あんな端っこに座って何してるんですかね?」

 横からぬるりと姿を表した灰羽リエーフに顔を向ける。わざわざ人目につかないように携帯を弄るなんて、研磨の性格を考えると彼女への連絡しかないだろう。そう黒尾は思う。それでも、あの研磨に出来た初めての彼女だ。無粋な真似はするまいとリエーフの問いかけに答えた。

「さあな。ゲームでもしてるんだろ」

 なるほど、いつものことか。そんな顔をしてリエーフの興味はゆっくりと逸れていった。黒尾は研磨に気付かれぬよう、気配を殺してその背中に近づく。先程のリエーフのように、ぬるりと上から姿を現して声をかける。

「ずいぶんと熱心に携帯弄ってんな」
「……別に」

 さっと携帯の画面を隠した研磨に、思わず口角が上がってしまうのを抑える。

「あの子?」
「なんで」
「研磨らしくねえなと思って」
「毎日連絡してあげろって言ったのはクロでしょ」
「だからって本当に研磨がするとは思わなかったんだよ」

 恋は人を変えると言うけれど、まさか研磨がそうであろうとは。いや、違うか。あの子だからか。相手が名字名前と言う人間だから、研磨はそうするのか。なんとも羨ましすぎるくらいの関係に、こちらが恥ずかしくなってしまう。

「……名字さんも、連絡してくれるの嬉しいって言ってくれるから」
「おーおー、お熱いねぇ」
「そう言うのやめて」

 黒尾としてもからかうつもりはないが、ついつい構いたくなってしまう。初々しく始まったばかりの二人の恋が気になってしまうのだ。研磨の怪訝そうな表情も気にせず、黒尾は言う。もちろん、声を小さくするという配慮はしている。

「東京に戻ったら会えるんだろ?」
「別に約束はしてない」
「はあ? してやれ。してやれ。名前ちゃん、絶対会いたがってるって」
「……そういうもの?」
「多分な」

 適当に答える黒尾のアドバイスに研磨の顔は怪訝なままだ。しかし、自分よりは確実に彼女を喜ばせる何かを黒尾は分かっている。自分はどんな風に接したら良いのか分からないし、考えれば考えるだけ頭は痛くなるし、それで喜ばせられなかったら困るし。そんなことを考えると、詰まる所、黒尾のアドバイスを受け入れる。になってしまうのだ。
 めんどくさい。とは少し違う。楽しい、というわけでもない。けれどもこうして相手の為に行動してしまう自分が、研磨自身でも不思議な感覚だった。

「自分でも、よくわかんないけど」
「ん?」
「名字さんが喜んでくれるの……嬉しい、と思う」

 ぎょっと目を見開いた黒尾をよそに、研磨は続ける。

「俺はどういう事をしたら喜んでくれるかとか、そういうのよく分からないから、クロのアドバイスは助かってるよ」

 研磨のこういった、たまに、ほんとうにたまに見せる無意識の素直さを尊敬する。本人にそんな気は全くもってないのだろうけど。研磨の言葉を頭で繰り返しながら、自分だったら、そんな台詞言えないだろうと黒尾は思っていた。
 小さい頃から知っている孤爪研磨という人間が、自分の知らない成長を遂げようとしているのだと思うと、黒尾は少しだけ寂しさを覚えた。

「そりゃあまあ、それくらいのことはな」

 研磨の携帯が震える。ああ、あの子からの返事か。黒尾は「ま、いつでも頼ってくれ」と言い、研磨の側をそっと離れた。遠くから返事を打つ研磨を見つめる。心なしか、研磨の口角が上がっている気がする。願わくは、この二人の恋がいつまでも続いていけば良いと、黒尾は思っていた。自分らしくないな、と感じながらも。

(16.04.06)