08


 それは黒尾先輩に相談を持ちかけてから翌々日の夜の事だった。

『明日、部活が早く終わるんだけど名字さん何か予定入ってたりする?』

 孤爪くんからの連絡に、眠気に襲われていた私の脳内は覚醒し、その一文を凝視した。え、なんだろう。何かの誘いだろうか。だとしたら嬉しいなぁ、なんてことを考えながら返事をする。

『午前中はバイトがあるけど14時からは何も予定はないよ〜』
『クロがふたりで行けって映画の試写会のチケットくれたんだけど、名字さん、洋画の恋愛映画って興味ある?』

 それってつまり、デートの誘い? 携帯を持つ手に力がこもる。ありがとうございます、黒尾先輩……! と先輩の素晴らしいアシストに感謝の言葉しか出ない。

『ある! 恋愛映画でも、アクション映画でも、アニメでも何でも、孤爪くんと映画行けるの嬉しい!』

 だって映画デート憧れていたもん。それに孤爪くんとどこかでちゃんと待ち合わせして出掛けるって初めてじゃない? 何を着ていくかギリギリまで悩んで、髪型は変じゃないかなぁって気になったりして、でも待ち合わせ場所で会えたらそんなの一瞬にして吹き飛んじゃう。そう言うのはずっと、紙やテレビの向こうの世界の出来事だったから。

『うん、じゃあ時間も丁度良いから、明日の15時に**駅の東口で待ち合わせで良い?』
『うん! 着いたら連絡するね』
『おれも。それじゃあ、また明日』

 また明日。そんな些細な一言が嬉しくて、私の気分はトランポリンを跳ねるように、ウキウキと弾む。また明日ね、と同じように孤爪くんに返事をする。

「明日かぁ……」

 何を着て行くか考えなくちゃ。時間に遅れないようにして、忘れ物も無いようにして。なんだろうこれ、考えるだけで楽しい。
 黒尾先輩は私らしくしていたら良いんだよと言った。孤爪くんはそんな私が好きなんだからって。孤爪くんは考えたりするかな。私が今こんなに楽しいって感じてること。明日が来るのを心待ちにしてること。孤爪くんが思ってる以上に喜んでるってこと。知ってほしいけど、知られたくない。恋とは多くの矛盾が潜んでいる。

「……あ、そっか。孤爪くんのちゃんとした私服見られるのも初めてなのかぁ……うん、楽しみすぎる」

 やっぱりどこまでも自分は単純な人間らしい。孤爪くんのことだけでこんなにも幸せを感じられるのだから。


△  ▼  △


 バイトを定時で終らせて、急いでデートの準備をした私は待ち合わせの10分前に駅の改札をくぐることが出来た。とりあえず着いた事を連絡しようと携帯を取り出すと孤爪くんからの連絡が先に入っていた。

『今着いたら、改札出たら連絡して』

 孤爪くんもちょうど今出たってことはこの近くに居るんだよね。久しぶりに会うわけでもないのに緊張する。選んだ服は変じゃないかとか、髪型は乱れてないかとか、他におかしなところはないかとか、あれだけ家を出る前に確認したのに改めて心配になる。
 それでも孤爪くんを待たせるわけにもいかなくて、私は急いで文字をうつ。

『私も今着いたよ。孤爪くん、どこにいる?』

 送信してすぐ、孤爪くんからの着信がきた。

「もっもしもし!」
『……あー、もしもし。えっと、南口改札出て東口の方のロッカーあるところに居るんだけど……』
「ロッカー? あ、分かった。そっちに向かうね」
『うん、じゃあ、待ってる』

 携帯をしまうと、駆け出したい気持ちと、ゆっくり歩きたい気持ちが交差する。平常心。平常心。深い呼吸をして心を落ち着かせる。初めてのデート。孤爪くんの隣にいる私が可愛い私でありますように。
 平常心。だけどやっぱり鼓動は高鳴ったまま、私は孤爪くんを見つける。初めて目にする私服。携帯を片手に私を待ってくれている立ち姿。なんだかもう、それだけで十分過ぎるくらいだ。

「……名字さん」
「孤爪くん、久しぶり!」

 改まるのが少し恥ずかしいけれど。二人の間に距離はまだ少しあるけれど。立ち止まって孤爪くんを見上げる。今、孤爪くんの瞳に映っているのが、ゲームでもバレーでもないことに優越感に似た喜びを感じたのは秘密だ。

「今日、誘ってくれてありがとう」
「別にいいって、そういうの。クロに言われなくても、誘うなら名字さんしかいないし」
「そうなの?」
「……彼女、だし」

 恥ずかしそうに視線をそらしながら言う孤爪くんの顔を私はただ見つめた。ああ、好きだなあ。孤爪くんのこう言うところ。ちょっと意地悪かもしれないけど。

「……行こ」
「ま、待って」

 孤爪くんの隣に並ぶ。丁度良い私たちの距離。手を繋ぐには少し遠いかもしれない。もちろんそんなこと恥ずかしくて出来ないんだけど。でもいつかはその手に触れたくて。触れられたくて。きっとそれをゆっくり埋めていくために、これからの日々があるのかもしれない。

(16.05.29)