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 最寄り駅を告げるアナウンスが耳に届いて、私と孤爪くんは満員電車を後にした。さながら脱出劇のようでどこか可笑しいけれど、先程までの車内での出来事を思い出すと急にまた孤爪くんを変に意識してしまう。
 それでも、いつまでも意識してるような恋愛に初な女じゃいられないと冷静を取り戻す。都会の女子高生がこのくらいで動揺していてはだめ。……なんて自分でもよくわからないエールを自分に送りながら。

「……あ、孤爪くんも降りることなかったよね。ごめんいっぱいいっぱいで忘れてたけど、駅先だもんね」
「送るつもりだったし、いいよ別に」
「え! いいよいいよ。まだ外明るいし。それに明日午前中から部活なんだよね? 早く帰った方が良くない?」

 食い下がる私に孤爪くんは「遠慮しないで」と言うから私はその言葉に甘えることにした。そうは言っても私だってまだ一緒にいられるのなら一緒にいたい。
 口数が少ないのは、互いに先程のことを意識しているからなのか。それともまだ厳しく襲う夏の夕陽にやられているからなのか。

「……ごめん、さっき」

 孤爪くんが少し小さな声で呟くように言う。さっき? 少し前までの記憶を手繰り寄せるけれど、孤爪くんに謝られるようなことをされた記憶はない。それよりむしろ『さっき』の言葉で甦るのは車内での出来事だけだ。また少し、頬が赤らむような気がして孤爪くんから視線をそらした。

「えっと……」
「さっき、電車の中。近すぎたから」

 ああ、そうか。孤爪くんもやっぱり意識していたのか。けれどそれは謝られるようなことじゃない。確かに私は恥ずかしくて、早く最寄りに着いてしまえばいいとも思っていて、汗臭くないかなとか頑張った化粧が浮いてたりしないかなとかいろいろ思ったけど、だけど私の胸を締め付けるその強さは決して嫌ではなかった。
 孤爪くんに抱き締めてもらったり、手を繋いだり、キスをしたり。そんなことを考えないわけではないのだから。私だって期待する。初めてのデートで、手くらいは繋げるんじゃないかとかも思う。だから謝らないでほしいんだ。だからあの瞬間は私にとって謝られるような事じゃなくて、予想外ではあったけれども、ただ、嬉しい事には変わらないのだから。

「あ、謝らないでほしい」
「え?」

 だから、それは意地もあったと思う。孤爪くんが謝る気持ちも分かるけれど、そりゃあ私だってごめんねと心の中で思ったりもしたけれど、でもそれ以上に分かってもらいたかった。

「私、嫌じゃないから……ああいうの。満員電車は苦しくて好きじゃないけど、さっきのはちょっとドキドキして嫌じゃなかったから。 それに私だってもっと近くにいたいなって思ったり手を繋いでみたいって思ったりするんだよ。 えっとだからその……嫌じゃないから謝らなくても良いよってことで、なんだろ……ごめん。い、いろいろ言いすぎちゃったよね。やっぱりなんだか恥ずかしいし送ってもらうのここで大丈夫だよ! また連絡するし、だから……その、つまり明日もバレー頑張ってねって言うかなんて言うか……」

 その意地は想像よりも早くに萎んで、私を現実に引き戻した。すぐにやってきたのは羞恥心で、何を子供みたいに感情的に伝えているんだと声の覇気はどんどんなくなっていった。孤爪くんは壊れかけのマシンガンのような私の言葉を黙って聞いていたけれど、萎む心と比例するように下がっていく視線に、最後まで私の方を見ていたのかはわからない。

「ここまで来たし……送る、最後まで」

 冷静に返してくれる孤爪くんの返事が余計に私の恥ずかしさを煽る。一人で盛り上がってなんだかバカみたいだ。もっと言葉を選んで伝えられたらよかったのに。あれじゃあ欲しがりみたいだし、そう言うことばっかり考えてるみたいだし、とにかくもう恥ずかしくて穴があったら入りたい。

「あと……手、を」
「え……手?」
「繋いでもいいなら、俺も繋ぎたい」

 落ち込んでいた心は一気に跳躍するように上へと向かった。控えめに差し出される孤爪くんの手のひらを見つめる。躊躇いつつも、それとは反対の手をおもむろに重ねた。意識が全て手の中に集中して、握り返す力加減もわからない。ドキドキする。私の手のひらは汗ばんでないかなとか、肉々しいとか思われていたらどうしようかなとか、良くない心配も頭の中に浮かんでくる。
 けれど、想像よりも孤爪くんの手は大きく骨張っていて、男の子の手は見た目よりも柔らかくはないんだなぁと知れたことが嬉しかった。

「……あのね、ごめん」
「なに?」
「き、今日はこっちの道から帰りたい」
「こっち?」

 だからその手をまだしばらく握っていたかった。それはただの私の願望だ。まったく、ここまでで良いと言っていた先程までの自分はどこにいってしまったのだろう。 

「と、遠回り……したい」

 私の手を握ってくれる孤爪くんの力がほんの少し揺らいだ気がした。相変わらず恥ずかしくて孤爪くんのほうは見られない。

「……うん」

 孤爪くんが何をどんな風に考えてるかなんて私には全然わからないけれど、きっと今は私も孤爪くんも同じ色で彩られているんじゃないだろうか。
 そう思う私を優しく見守るのは、まだ少し明るい夜空にポカリと浮かぶ半分の月だった。

(16.06.15)