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「で、昨日はどうだった?」

 押さえきれない笑みを無理矢理押さえつけたであろう顔をした黒尾は、電車の中で内緒話をするように研磨に顔を近づけてそう尋ねた。
 やはり、きたか。映画のチケットを譲り受けた時から想像できていた事だ。それでも研磨はあからさまに嫌がる顔付きを見せて、僅かな抵抗をした。

「……別に」
「別にってなんだ。初デートなんだから、あんなことやこんなことの一つや二つあるだろ」

 ニヤニヤ。形容詞をつけるならまさにそれしかないだろう。研磨は鞄の中からポータブルのゲーム機を取り出す。そう来るだろうなとは思っていたのだ。昨夜、黒尾から何の連絡も無かったから余計に今朝は部活が始まるまでにいったい何を聞かれるのだろうかと構えていた。研磨の予想は勿論、外れることはなかった。
 セーブデータを読み込む画面を見つめながら、研磨は黒尾の言う「あんなことやこんなことの一つや二つ」を考える。

「……ない。クロが思うようなことは、ない」

 脳裏に浮かんだ昨日の情景を書き消して研磨は言った。そもそも、あんなことやこんなことがあったとしても伝えるつもりは微塵もないのだ。言って、温い見守るような視線が逆に気持ち悪いのだから。
 それでも研磨は昨日の名前とのやり取りや、少し近い距離、手の感触、体と心がちぐはぐになるような感覚を思い出して、ばつの悪い気分に陥る。相変わらずそれは自分が自分ではないようで、身体のどの部分にその気持ちを納めたら良いのか分からない。

「ふうん。何もなかったわけだ」

 あえて確認するような黒尾の言い方に研磨は返事をしなかった。

「昨日名前ちゃんからお礼の連絡があって少し話したけどすげー嬉しそうだったぞ。良かったな」

 見透かすような言い方は、一周まわって純粋に楽しんでいるようにさえ思える。研磨は溜め息を吐いて「そうなんだ」と平然とした態度で答えた。どの角度から考えても、こう言った事柄に関しては黒尾のほうが一枚も二枚も上手だ。それならば責めて動じない姿勢を見せるほうが賢明である。
 それに学校に着いてからこの話をされるより、今、電車の中で他の部員に何かを聞かれる心配をしないほうが楽だ。特にリエーフや山本は何を聞かれるかと考えただけでどっと疲れる。そう考えるとまだましなほうか、と研磨は諦めを覚え始める。

「次はいつ会うか決めてんの? 夏なんだしイベントたくさんあるもんな〜。あーリア充羨ましい」

 あくびを漏らしながら言う黒尾の言葉に、あまり羨ましさは感じ取れない。作る気なら作れそうなものを、と研磨は思うが口をだすつもりはさらさらない。それにこの間、女の子からの告白を断ったというのを研磨は山本から聞いていたのだ。

「来週、花火大会があるから会う予定」
「まじ? 研磨が人混みに自ら行くとか信じらんねえ」
「……規模は小さいって名字さん言ってたし」
「へー近く?」
「うん。最寄りは名字さんのとこの駅。場所は反対側だけど」
「ふーん」

 自分だって好き好んで人が大勢いる場所に行きたいとは思わない。研磨は考える。けれど、駅に張ってある花火大会のポスターを見る名前の顔には"行きたい"と書かれてあったのだ。「……あの、もし嫌じゃないければ……あ、無理にじゃなくてね! 予定もあるだろうし。時間があって孤爪くんが嫌じゃなくて一緒に行けるんだったら凄く嬉しいんだけど……どうかな?」そう言われて、断る術を研磨は知らない。いや、知っていたとしても恐らく言えはしなかっただろう。
 何故なら、いいよと応えた瞬間の名前の表情がとても嬉しそうだったから。その顔を見ていると、すこしくらいの人混みなら我慢しようと思えたのだ。自分でも、そう思うことには驚いたけれども。

「好きな子の浴衣とか最高じゃん」
「名字さんが着るかどうかはわからないけど」

 なんにせよ、羨ましいねえ。と、黒尾は再度言った。研磨は黒尾を一瞥し、ゲーム機に視線を戻す。名字がそれを着るかどうかはわからないけれど、黒尾の言うようにもしも浴衣を着るのなら。もしそうなら、人混みは気乗りしないけれど少し楽しみかもしれないと思ったことは、絶対口に出さないでおこうと決める研磨だった。

(16.06.30)