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 名前を家まで送り届けた研磨は、黒尾から連絡があったためもう一度祭り会場へ戻ることとなった。心なしか、まだ浮き足立っているような気がする。地に着かないようで落ち着かないこの気持ちはなんとも不思議で、研磨は空を仰いだ。及第点レベルの星空だ、と思う。
 自分よりも小さくて柔らかい手の感覚を思い出すと、罪悪感にも似た羞恥心が研磨を襲う。この感覚は、いまだに慣れない。

『研磨、いまどこだ?』
「駅のところ。……ねえ、本当にそっちまで行かなくちゃダメなの? 人凄いんだけど」
『なんだよ、名前ちゃんとは良くて俺たちとはダメなんて冷てーぞ』
「……そうじゃなくて。いや……いいや。わかった、そろそろ着くから」

 疲れたかと聞かれれば、疲れたと答えるのが正しいのだと思う。人混みにも、相手に気を使うことにも。家にいたり、黒尾たちと共にいるほうが気楽であるはずなのに、それとは反対の相手を選ぼうとするんだから恋愛とはある意味で恐ろしいものである。

『待ってんぞ』
「うん」

 先程の名前の様子は、まだすぐに脳裏に思い浮かべることができる。花火に照らされた浴衣姿を真っ直ぐに見ることを躊躇ってしまう。もっと気を利かせればよかっただとか、もっと上手くエスコートできれば良かっただとか、今になって後悔が襲う。握った手の力はちゃんと優しかっただろうか、とか。
 戦況をみて、試合を組み立てて、トスを上げる。そしてトスの挙がった先にいるスパイカーが決めてくれる。強いのは、自分ではない。バレーをしている方が楽だな、と思うときがある。これは、彼女とのことは、自分が頑張らなくてはならないから。名前はどうなのだろうと思う。名前も同じように思っているのだろうか。楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうにしている名前は、こんな風に複雑な思いを抱えて自分の隣に居てくれてたのだろうか、と。

「クロ」
「お、来たな」
「これからどうするの?」
「山本の家で少し話すことになったからお前も来るだろ?」
「え、話すって?」
「今後の部活のことだよ。俺と夜久と山本と研磨な」
「え……いいよ、俺は」
「お前、音駒の正セッターだろ」
「……わかった」

 どこまで踏み込むことを許されているのか、わからない。名前を呼んで、言葉を交わして、手を繋いで。自分なんかが彼女の世界に入り込んで良いのだろうかと研磨は思うときがある。人付き合いが下手で、口数も少なくて、幼馴染のようにはっきりと物事を伝えられるわけでもなくて、好きなものと言えばゲームで。そういう自分が、名前の隣に居ておかしくはないのだろうかと。隣を堂々と歩けない自分が、少し恥ずかしい。

「研磨の彼女、ちゃんと見たの初めてだったわ」
「くっ……研磨に彼女……抜け駆けずりーぞ!」
「別に抜け駆けとかじゃないし。それより、この話は止めて」
「悪い悪い。けど良い子そうじゃん。山本は知り合いだっけ?」
「クラス一緒になったことはないっスけど、知ってますよ。確か家も近かったはずです」
「へー。じゃあなに、小学校一緒とか?」
「や、一緒じゃなかったんで学区は違います」

 居心地が悪い。しかめた顔をする研磨に黒尾の口角が少し上がる。いいじゃないの、青春で。そんな黒尾の思いを研磨は知らない。いや、むしろ知っていたとしてもありがた迷惑な話であろう。

「これ以上つっこんだ話するとまじで研磨が帰りそうだから止めるべ」
「……最初から帰りたい気分なんだけど」

 攻略法はない。リセットもきかない。そういう人間関係は面倒だ。そう思う研磨の特別な場所にいるのが名前という人間であることを研磨は誰にも知られたくなかった。それはなぜか、彼女自身にも。
 ポケットに入れていた携帯が震える。名字さんだ。直感が閃くように研磨は思った。ここで見るのが憚られる。ポケットの中に手を入れて携帯を握った。

「研磨?」
「……虎の家着いたらトイレ貸して」
「良いけど。え、腹いてーの? デート緊張してたとか?」
「違うから」

 だけど。だけど、どんなに悩んでも面倒だと思っても、自分ではどうしようも出来ないものがある。加速する鼓動。求める気持ち。戸惑う瞳。恋をしているということ。きっと、あの子は笑ってくれる。難しく考えないで大丈夫だよと言いながら。だって私は孤爪くんが好きだからと言いながら。自分の好きになった子はそういう子なのだ。

(16.09.06)