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「ごめん、待たせて。先、行こうか」

 ミーティングが終わるのを教室で待つ。孤爪くんは思っていたりも早く迎えに来てくれた。なんだか今日は特別に緊張する。期待しているせいかな。孤爪くんも、同じように思っているのだろうか。いやでも、黒尾先輩がいるわけだし。
 そわそわと浮き足立つ心をもて余す。校門を過ぎても、電車に揺られても、初めての駅で降りても、知らない道を歩いても、心臓はいっこうに落ち着かない。隣に並ぶ孤爪くんはいつも通りで、自分だけがこんな風に舞い上がりそうになっているのがほんの少し恥ずかしい。震えた携帯を見つめる孤爪くんは、いつもと同じ様子だ。

「……そろそろ家に着くんだけど」
「あ、うん!」
「けど今、クロから連絡きて」
「うん?」
「自主練するから、遅くなるって」
「え?」
「どうする、名字さん」
「えっと……自主練って早くは終わらない、よね」
「うん……あと、ごめん。クロもいるしと思って言ってなかったけど今日親が家にいなくて」
「えっ?」

 どうしようか。情報がありすぎて整理出来ないんだけど。冷静に私を見つめる孤爪くんの視線から逃げて考える。どうしたら良いの、私。

「えと……孤爪くん、自主練には向かわなくていいの……?」
「おれは基本的に自主練は参加したくない。疲れるし」
「そ、そっか……」
「名字さん帰るなら、送るけど」

 じゃあ、今度改めてお邪魔しようかな。せっかくここまで来たし、少しだけお邪魔させてもらおうかな。二つの選択肢がせめぎあう。少しの期待を込めて、孤爪くんを見つめた。私を見つめる瞳にどんな感情を添えているのだろう。ドクン。ドクン。心臓はいつもより早い。私はいつだってもっと近づきたいと思っているくせに、恥ずかしくてその感情に顔を合わせられない。
 携帯が震えた。はっと意識を取り戻して画面を見る。黒尾先輩からだ。

『お邪魔は俺のほうでしょ〜。頑張って!』

 その文章を見た途端、脱力した。なに、この最後の星マーク。ふざけてるとしか思えない。黒尾先輩……謀ったな。とは言え、黒尾先輩が私たちのことを応援してくれてやった行為だと分かるので、責めるに責められない。ううん。それだけじゃない。だって私、心のどこかで期待してた。舞い上がる感情があった。

「大丈夫?」
「あっうん。えっと、黒尾先輩からで」
「クロ?」
「うん……ごめんって。俺のことは気にしないで二人で楽しく過ごしててっていう感じで、きた」

 沈黙。私は下を向いたまま視線を泳がせた。孤爪くんが嫌じゃないなら、本当は家にお邪魔したいんだけど。

「あの」
「うん」
「こ、孤爪くんが良ければ、せっかくここまで来たし帰っても特にすることないし、えっと、ゲ、ゲーム! とか、色々話してみたいし、だからその、遊びに行けたらなって」

 思い付くだけの理由をくっつけて、私は一思いに言った。

「わかった。じゃ、いこうか」

 孤爪くんはいつも通りに答える。家に行くこと、意識してるのやっぱり私だけなのかなあ。私だけが舞い上がって緊張して期待しちゃってるのかなあ。そういうの、絶対口には出せないけど。
 物足りない気持ちを抱いたまま、孤爪くんの家へと着く。おうちの人が居ないとはいえ、緊張する。お邪魔します、と控えめな声で言って孤爪くんに続くように靴を脱いだ。

「部屋、こっち」
「う、うん」

 後を追って階段を昇る。「ごめん、ちょっと汚いかもしれないけど」孤爪くんはドアを開けた。ドキドキしながら中を覗く。整理された机。シンプルなテーブル。青い布団カバーのベッド。テレビ台には収まりきらないゲーム機とソフトが並んでいた。
 なんというか、男の子の部屋って言う感じで、私の部屋とは当たり前だけど全然違って、新鮮で。あ、孤爪くんの匂いがする、と思った私はもう本当変態と呼ばれても否定出来ないと思った。

「適当に座ってて。飲み物持ってくるから」
「えっ。あ、ありがとう」

 適当ってどこ? 階段を降りる音を聞きながら、ベッドとテーブルの間のスペースに腰を下ろした。無意識に身が縮む。改めて部屋を見渡す。孤爪くんはここで私に連絡とってくれるのか。私みたいにベッドで横になってたりするのかな。ゲームの合間に返事してくれたりするのかな。

「おまたせ」
「ううん! ありがとう」

 氷の入ったグラスが二つ。麦茶の入ったボトルから中身がコポコポと注がれる。カランと氷が躍る。沈黙を誤魔化すように、注がれたばかりの麦茶を飲んだ。

「な、なんか変な感じだね! まさか孤爪くんのお家に来るなんて思ってなかったから本当、びっくり」
「俺も。自分の部屋に名字さんがいるの、なんか不思議」

 こう言う、お家デートみたいなものって何するのが普通なの? こんなことならネットで調べておくんだった。でもまさか土壇場で黒尾先輩が来ないなんて言うとは思ってなかったし。

「ゲ、ゲームたくさんあるね!」
「名字さんに貸したのは順調に進んでる?」
「うん。毎日少しずつ進んでるよ」
「気になるのあるなら全然貸すし……あ、けど名字さんはあんまりゲームしないか」
「でも貸してくれたの面白いから終わったら他のもやってみたいなって思ってるよ」
「本当?」
「うん! 孤爪くんみたいに上手くはないからまだまだ、時間はかかりそうだけど……」
「それは、いいよ。ちょっと意外だけど、好きって思ってもらえたなら、嬉しいし」

 カラン。再び氷が踊る。心が緊張に溢れているのに、こんなにも幸せを感じられるのって何でなんだろう。

(16.09.25)