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「クロ、今から向かうって」

 孤爪くんの家へ来て約2時間。緊張も少し落ち着いた頃、孤爪の携帯に連絡が入った。西日の射し込む窓の外。連なる屋根の外に茜色の空がうっすらと見える。

「そっか、もうそんな時間かあ」

 なんかあっという間だったな。そう言うと孤爪くんが少し口角を上げた。私はドキッとして視線をそらす。そろそろ家族の人も帰ってくるだろうし、やっぱり黒尾先輩と孤爪くんの話に私が居るのも邪魔になるだろうし、帰ったほうが良いよね。

「そろそろ帰ろうかな」
「……そっか」
「うん。黒尾先輩も来るし、邪魔したら悪いから」
「別に、いいのに」
「それにお母さん、夜ご飯作って待ってるみたいだから」
「それなら、仕方ないね。駅まで送るよ」
「え、いいよいいよ。黒尾先輩と入れ違いになったら困るんじゃない?」
「大丈夫。連絡入れておくから」

 予想外に食い下がる孤爪くんの申し出を断る理由もこれ以上見つからなくて、黒尾先輩には申し訳ないと思いながら、厚意に甘えることにした。
 送ってもらえるのは嬉しいけど、物足りないと思う私はわがままだろうか。期待して意識して一人で勝手に舞い上がっていた私と、いつもと変わらない孤爪くん。孤爪くんは私とそういうことするの考えたことないのかな。別にしなくても良いと思ってるのかな。もちろんそんな事本人には聞けるわけない。

「また、いつでも来て」
「うん、ありがと!」

 それとも私に魅力がないとか。ネガティブなことばかり頭に浮かんできてしまう。張り付けた笑みが少しでも可愛いと良いんだけどな。思わずキスしたくなる女の子って、いったいどんな顔なんだろう。もっと化粧を頑張ったり、髪型を可愛くしたりするのが良いのかな。ああ、良く考えてみると私、孤爪くんの好みのタイプって知らないや。

「忘れ物とかは、ない?」

 ドアの前で孤爪くんが立ち止まる。ぶつかりそうになる寸前のところで堪える。わ、忘れ物? 携帯も制服のポケットに入ってるし、鞄からは何も取り出してはいないから、うん。大丈夫。

「うん、大丈夫! 携帯もちゃんと持った、よ――」

 ばっちり! と笑顔で孤爪くんを見上げる。つもりだったのだ。けれどその距離は想像していたものよりもずっと近くて、眼前にある孤爪くんの顔に私の時は一瞬、止まった。何故か、退けることも謝ることも出来なくて、かといってこの距離に動揺しているとは知られたくないと思った。
 沈黙が走る。少しだけ空気が変わった気もした。そのことに私はまた動揺して、困惑して、焦りを感じた。孤爪くんの唇が動く。何かを言おうとしたのだろう。けれど、それより先に言葉になったのは私の声だった。
 
「そ、そう言えばさ」

 孤爪くんは真っ直ぐに私の瞳を見つめていた。

「孤爪くんの好みのタイプって、どんな子?」

 現状を打破するためにと口を開いたはいいが、出てきた言葉はそれだった。おい、私。もっと他にあったでしょう! だけど、だ。
 だけど、私は電車で孤爪くんが近くにいてもドキドキするし、こうやって二人きりの部屋で距離が近づいてもドキドキする。孤爪くんももっと、動揺しても良いんじゃない? ドキドキしてくれても良いんじゃない? そう言うの示してくれても良いんじゃない? 少なくとも、夢の中の貴方はもっと積極的だったんですよ。なんてことを思ってしまったのである。

「……え、急に、なんで」
「そ、そう言えば知らないなって思って」

 孤爪くんは視線をそらした。少しの沈黙。変わらない距離。高鳴る鼓動を聞かれたくはないけど、孤爪くんのそれは聞いてみたかった。

「……名字さんは、結構……おれの好み、だと思う、けど」

 あ、そうなんだ。ってまず思って、言葉の意味をちゃんと理解した後、途端に恥ずかしくなった。私はちゃんと孤爪くんの好みのラインいるのか。

「そ、そうなんだね。嬉しい、です」

 孤爪くんは相変わらず視線を横に向けたままだった。私はふと思う。あれ、今ってもしかしたら「その」タイミングだったりする? 雰囲気とか、悪くないと思うんだけど。けど、こう言うのって私から求めても良いものなのかな。名前、呼んだら分かってくれるかな。分かってくれると良いんだけどな。

「……あの、こ、孤爪くん」

 渇いた喉から絞り出した声は少しかすれている。

「……ごめん、行こうか」

 孤爪くんは結局、私のほうを見ることはなかった。予想していたとはいえ、堪える。やっぱり、魅力ないのかな私。「そ、だね。行こうか」私は笑顔をつくる。
 駅までの会話が全然耳に入らない。何となく相槌を打って、悟られないように笑う。孤爪くんの心が覗けたらと思うけど、知りたくないとも思う。

「あ、ここまでて良いよ。ありがとう」
「わかった。じゃあ、また明日」
「うん、またね」

 駅の手前の交差点で告げる。青になった信号を少し早足で渡った。振り向くことなく、構内に入る。タイミング良く改札を抜けた黒尾先輩を見つけ、思わず声をあげた。

「あ、黒尾先輩!」
「え、研磨は?」
「ちょうど今、向こうの交差点まで孤爪くんに送ってもらったばかりだったんですけど」
「てか帰るの?」
「帰りますよ。邪魔したら悪いし、夜ご飯の時間なんで。いや、てか黒尾先輩! なんですかあれ! もー、いきなりドタキャンみたいたの驚くじゃないですか!」
「でも良かったろ? いろいろ出来たんじゃない?」

 ニヤリと笑った黒尾先輩が言う。何を想像しているのかは分からないけど、黒尾先輩が思っていることは何ひとつなかった。

「別に、なーんにもなかったですよ。ただ少しゲームとか学校のこととか話してただけです。黒尾先輩が期待してるようなことはひとつも」

 ほんと、笑っちゃうくらいにね。

(16.09.29)