24


 孤爪くんがいる体の右側はいつも熱を持ったみたいだ。彼が左に行けばその熱は左側に移るし、後ろも前も、まるで孤爪くんが私の体の体温を操っているのではないかと思えるくらい、引力みたいにこの熱はいつも彼の方を向く。

「あの、やっぱり傘買えば良かったよね……孤爪くんちょっと濡れちゃってる、よね?」
「これくらい、大丈夫」

 普通サイズの傘は孤爪くんと私が並ぶとさすがにすべてをカバーしきれない。孤爪くんは気を使って私寄りに傘を傾けてくれているけれど、雨に濡れてる孤爪くんの右半身を見ると心が傷む。

「……前とは逆、だね」
「え?」
「前は名字さんが傘を貸してくれたり、家で雨宿りさせてくれたりしたから」

 柔らかい表情の孤爪くんが言う。梅雨時にあった出来事を孤爪くんも覚えていてくれてたのか。付き合う前の、歯がゆい感情を思い出して気恥ずかしい。そうだね、と雨に消えるか消えないかの際どい声量で答える。

「名字さんはこういうのしっかりしてそうなのに、意外」
「そうかな? 私ここぞって時にうっかりしたりするからダメなんだよね」
「そうなんだ? けど、そのおかげで会えたし」
「えっ」
「たまに抜けてるとこは、なんか、いいと思うけど」
「……そ、うかな?」

 妙に恥ずかしいんですけど! 私はますます孤爪くんの方を見られなくなる。早く家に着いて。ううん、でももう少しこのまま。葛藤がせめぎあう私の心はいつまでも落ち着かない。


△  ▼  △


「タオル、これ使って。あと着替え、おれのだけど洗濯したてだから」
「あ、ありがとう」
「着替え終わったら呼んで」
「は、い……」

 孤爪くんの家に着いて渡されたタオルで頭を拭く。着替えを渡されたけど、本人がいないとは言え孤爪くんの部屋で着替えるのがこんなにも恥ずかしいなんて! 罪悪感やら羞恥心やらいろいろな感情が私を襲うけれど、出来るだけ心を無にして孤爪くんが渡してくれた服に袖を通す。
 下のハーフパンツは恐らく、部活ジャージだろう。Tシャツは無地のグレー。最後に羽織ったパーカーはスウェット生地のもので、なんだか少しアンバランスだったけれど孤爪くんが洗濯されたものの中から急いで選んだのかなと思うと少しばかり微笑ましかった。
 待たしては良くないと私は部屋を降りてリビングへ向かう。孤爪くん以外いないと言っていたけど他人の家を一人で歩くのは何とも言えない気分だ。

「孤爪くん、着替え終わったよ! 服、ありがとう」
「えっと、じゃあそれ乾燥機にかけておくから、もらっとく」
「重ね重ねごめんね」
「すぐ乾くし気にしないで。先、おれの部屋戻っててよ。飲み物もって行くから」
「あ、うん。えっと、ありがと」

 孤爪くんが私の服を持っていることに違和感しか感じなかったけれど、その指示通り私は再び彼の部屋へと戻った。ほどなくして、孤爪くんは飲み物をもってやってきた。

「お茶でいい?」
「あっうん、ありがと」
「……髪、まだ少し濡れてる。ドライヤーいる?」
「使った方が早く乾くけど、でもタオル貸してもらえただけでも助かるし全然気にしないでいいよ」
「じゃあ、持ってくる」

 じゃあってなに!? 孤爪くんはそう言って部屋から出ていく。次に戻ってきたときにはその手にドライヤーがあって、せっかくだからとそのドライヤーを使わせてもらったのは良いけれど、なんだかさっきから孤爪くんに見つめられている気がする。いや、気がするとかじゃなくて、孤爪くんすごい見てる。めちゃくちゃ私のこと見てる。なにこれ。なんか気まずい! てか乾かしにくい! 気になる!
 ほどほどに髪も乾いたので、ドライヤーのスイッチを止めて私も孤爪くんの方を見た。目が合うよりも先に孤爪くんはそれまであんなに向けていた視線をそらしたのだった。

「えっと……ドライヤーありがとう。髪早く乾かせてよかった」
「あ、うん」

 なんだろう、この空気は。何か和やかな話題を振ればいいのかな? そう思ってもいざ考えると何を話題にすれば良いのか全然思い浮かばなくて、目にはいった赤い色のジャージに、勝手に口が開く。

「あっ、そう言えばこれ、部活のジャージ?」
「うん」
「やっぱり。なんかちょっと面白い。下だけ見ると私もバレー部みたいじゃない? 私が男バレに居たらマネージャーかぁ。なんて、おこがましいよね〜」

 ジョーダン、ジョーダン。そんな風に笑う私とは対照的に、孤爪くんはじっと私を見ていた。えっやっぱりおこがまし過ぎた? 調子に乗るなとか思われた?

「あ、ごめんね。本当に他意はなくて……」
「どうせなら、上も着てみる?」
「えっ?」
「ごめん、上はおれの着てるやつになるんだけど」
「あっはい」

 そう言って今着ている孤爪くんの脱いだジャージを手渡される。黒いTシャツ1枚の孤爪くんが、いつも通りの表情で私を見る。あれ、なんでこんなことになってるんだっけ。
 
(16.10.28)